あなたがプロになるなら『精一杯やった』と自分を納得して終わらない事!

「精一杯やったんだ」この言葉には、どこかしら甘えが匂う。

プロの世界は、成果をあげてナンボの世界である。

精一杯やって認めてもらえるのは、所詮アマチュアレベルまでであり、プロなら、成果をあげることに全力を尽くさなくてはいけない。

 

仕事人としてのプロ意識を持ちたいなら、安易に自分を甘やかすような発言を慎むことが先決である。

「とにかく頑張ったんだから」「全力でやったんだから」といって自分を甘やかすことを吹っ切らないと、いつまでも強者にはなれない。

しかもまた、「俺の実力はこの程度」と、自分の力の上限を決めて悟ってしまうと、往々にして、潜在能力の芽を摘んでしまうことになるので危険だ。

「実力がなければ、精神カで何とかしてやる」

「武器がなくなったら、相手に噛みついてでも倒してやる」

こういう闘争心が、さらなる潜在能力を引き出す尽きたら素手でも勝ってみせるという闘争心がないと人は進歩しないのだ。

「ベストを尽くしたので、全然悔いなんてありません」などと言っている人は、成長が止まって、所詮そこまでの人間である。

ほかならぬ自分自身が、自分の潜在能力を信じないで、一体だれがそれを信じてくれるのか。

「俺は、まだまだやれる」と潜在能力を信じるからこそ、負けたと思わずに努力しつづけることが可能になるのではないか。

高校野球では、「逆転しひっくり返すチーム」のように、土壇場でしぶとさを発揮するチームが強い。

たとえ相手に得点を許しても、気持ちが挫けないからである。

敵チームには、「俺たちは、いつでも逆転できるんだぞ」というプレッシャーを与えつづけるし、自分のチームには、「そろそろ逆転しようぜ」という意識を醸成する。

こういうチームを倒すのは、実力差があったとしても一筋縄ではいかない。

 

負けることが決まっても、総崩れするようなみっともない負け方をしないようにしたい。

人間は、「もう十分やったよ」と思ったところで、ガタガタになってしまう。

そういう見苦しい負け方は、将来においても禍根を残す。

負けグセがついてしまうからだ。

勝負事は、一秒でも遅く負けろ、が鉄則である。

負けるにしても、将来につながる負け方ならいい。

つまり、土壇場まで勝負を捨てないという負け方ならいいのだ。

最後の最後まで諦めない負け方なら、次につながっていく。

 

商談の場合、結果として、競争に負けることになっても、そこにいたるまでに簡単に勝たせなければ、相手は「手ごわい」と思う。

つまり、負けるにしても、相手を萎縮(いしゅく)させながらの負け方なら、まだしも許されるのだ。

負けるにしても、やすやすと勝負から下りてしまうようでは、話にならない。

自分から土俵は下りず、最後までうっちゃりを狙って土俵際でねばる諦めの悪さを持つことが大切だ。