劣等感の「いい生かし方」を心得ておく

人間はだれも完壁ではない。

必ずどこかにたりない部分がある。

劣等感は特定の人が抱くものではなく、ふつうの人間ならみな抱くものである。

かえって劣等感のない人のほうが危険であって、躁病(そうびょう)かあるいは躁病的な体質をもっている可能性がある。

劣等感は、人間にとって非常に大切な感情となっている。

というのも、劣等感を克服しようとするエネルギーが原動力となって、次の新しい発展をすることができるからだ。

すべてが完壁に満たされているなら苦しみもがくこともない反面、新しく生まれ変わろうとする気持ちも湧いてこない。

だから欠点だらけという人は、それだけ成功する可能性が高いのだ。

欠点のあることを喜ぶべきである。

しかし、この劣等感という化けものにとりつかれてしまうと、なかなかそこから脱出できない。

このときは、劣等感はだれにもあるものだと認識して、恥ずかしさや情けなさを自分の力で克服していく以外にない。

要は、この努力ができるかどうかだ。

だいたい、 いつまでたっても劣等感にさいなまれているような人は、自分だけが不幸だと思い、そのくせその不幸を自分で解消しようとしない怠け者だといえる。

不満や愚痴だけは一人前に述べるが、実行がともなわないのだ。

悩みというものは、他人から見ればそれほど大したことではないことが多い。

中学二年のとき、秋田から東京に転校してきた人がいた。

彼は、東北なまりが抜けず、ことに英語の時間には珍妙な発音をして、クラスのみんなから爆笑をかった。

そのため、以後は先生にさされてもいっさい英語の朗読をしなくなってしまった。

が、彼は東北なまりが直ればこの劣等感は解消することを知っていた。

だから、やがて東京のことばに慣れるにしたがって、彼の劣等感も消えていった。

悩みの原因を追求していけば、なんだこんなことだったのかということはあまりにも多いのだ。