裏切りにあったら、相手を「許す」ことを学ぶ

「幸福人とは、過去の自分の生涯から満足だけを記憶している人々であり、不幸人とはその反対を記憶している人々である」

その通りだとすると、世の中には、幸福人よりも不幸人のほうがはるかに多いのかもしれない。

私たちにあるのは、いまと未来だけだ。

過去はすでにない。

どんなことがあったとしても、それはすんだこと。

嬉しかったことを思い出してみても、それによって新しく何かをつくり出せるわけではない。

しかし、いい気分で過ごすことにつながるなら過去に浸るのもいいだろう。

問題は、いつまでもマイナスの記憶に引きずられることだ。

 

40代の主婦は、10年以上も前の夫の裏切りをいまでも許せないでいる。

当時、最初の子どもを妊娠していた彼女は、つわりがひどく実家に帰っていた。

そんな時期に夫が浮気をしていたのだ。

子どもが生まれてからその事実を知り、大きなショックを受けた。

夫にしてみたら、ほんの気の迷い。

もちろん悪いことはわかっている。

妻を大事に思っているし、家庭を壊す気などまったくない。

ただ、一人でいる気楽さから同級生だった女性と飲みに行き、お酒の勢いもあって一線を越えてしまった。

妻は激怒した。

夫を信じきっていたからこそ怒りは深かった。

それでも夫を愛していたし、子どももいるから別れることはしなかった。

その後も夫は、妻を再び傷つけることがないように気を使っている。

妻もそのことをわかっていて「忘れよう」と思う。

だが、ふとした瞬間に思い出して、感情的になって夫を責める。

夫は、それをいわれると、どうしようもない。

お手上げだ。

とかく女は、男が忘れている遠い昔の話を、突然、持ち出したりして男を責める。

古今東西問わず、よくある不幸なケースなのではないか。

 

たしかに、妻に「過去のことは忘れなさい」というのは、男の身勝手に聞こえるだろう。

しかし、それしかないのではないか。

時計の針は元には戻らない。

過去のことを責めてみても、夫はその時点に立ち戻ってやり直すことはできない。

 

「許すことで過去を変えることはできない。しかし、間違いなく未来を変えることはできる」

 

いまと将来にフォーカスし、過去との距離感を捨て去ることが、女性にとって最良の道ではないか。

この妻の場合も同じである。

 

ある20代後半のビジネスマンは、信じていた同期に裏切られた。

自分が温めていた企画を、その同期が先に会社に提出し、高い評価を得てプロジェクトリーダーの座を射止めたのだ。

飲み屋でおしゃべりしていた話だから、こちらが先に思いついたという証拠はない。

騒いでみても自分の評価が下がるだけだ。

煮え湯を飲まされたような思いでいる。

そんな重要なアイデアを話したのは、相手を心の底から信じきっていたからだ。

「こいつは危ない」と思っていたら最初から話しはしない。

もし、そんな相手にしゃべっていたなら「俺はバカだ」とあきらめもつく。

 

裏切りというのは、信じていない人との間には起こらない。

「こいつだけは裏切らない」と思っているから、裏切られるのだ。

どれほど信頼し合っていても、「ここで裏切ったほうが、絶対、自分にメリットがある」と思ったとき、人は裏切ることがある。

逆の立場だったら、自分だってそうするかもしれない。

その後、先の彼はなかなか立ち直れないでいる。

会社に行けば怒りがぶり返し、なかなか仕事が手につかない。

しかし、それではますます自分が損をする。

たしかに悔しいだろうが、ここは「人間学」を一つ勉強したと思うことだ。

自分の将来のために、過去の出来事として捨て去るしかない。

「死に至る病とは絶望のことである」

過去という、すでに存在しないもののために自分を絶望の中に置いてはいけない。