人との付き合いや仕事でも、私がこれだけやったからその分後で返してくれよ、、、

そんな思いで行動しがちな人は多くいます。

当たり前と言えば当たり前なのかもしれません。

でも、見返りばかりを欲しがって行動してばかりでは、人としてどうなのでしょうか?

ちょっとそのことについて語ってみたいと思います。

 

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仕事の見返りについて

仕事に対してのとらえ方は切磋万別です。

出世を考えて猛烈に頑張る人、上司がうざい・怖いなどの理由で仕方なくこなす人、生活のために首にならない程度でこなしている人、いろんな理由で仕事をこなしている人がいます。

こう見ると見返りというと給料やボーナスの点だと思います。

特に出世を考えている人は、今頑張ったら将来出世できるのではないかと信じて日々頑張っている人が見返りを求めて頑張っているのです。

当然、素晴らしい考えであり見返りを考える正しい考えでしょう。

見返りはそういう考えもありますが、そればかりではなく、仕方ない場面の場合もあります。

職場や会社が窮地に至った場合はどうだろう。

特に役職を持った中間管理職の人は給料ばかりの見返りを求めるばかりではないだろう。

その場を乗り切るための見返り無しの行動も時にはしなければならない時もあります。

会社から見て仲間から見て、見返りを求めない人柄の人は、特に必要な存在となります。

いいように使われないようにバランスよく行動は必要になりますが・・・

 

人間関係の見返りについて

人間関係においても見返りを求めて接したりするのはないのですが、相手によっては内心では求めている場合もあるものです。

友人関係ではないのですが、親族関係は特に思ったりするものです。

世話になっている親族であればあまり考えなのですが、こんな時だけと思う親族は特に思います。

恰好だけつける言い方しかせず、日ごろから何もしない親戚関係などです。

こちらからは見返りを求めないが、相手は見返りを求めるタイプである。

人間関係の中でもそういった人間もよく見かけます。

そういった人間には、こちらから親切を与えず、両者見返りを求めない関係で終わらせておくことがよいだろう。

 

友人や友達関係で付き合う場合、見返りを求める付き合うことは大半しないと思います。

深い付き合いをしていると信頼関係が生まれ、この人にはなんでもしてあげれる関係も持つことができるからだ。

年齢が重なるにつれていくと、気を遣いそういう考えも気が咎めるものだ。

相手が結婚もしていたり、年齢も経っているのであれば、親切にしてあげると見返りを求めていると思われる場合をとられるので内容によってはわざと行動をしないこともあります。

そうすることで互い気を遣わなくて済む場合もあるのである。

 

その時の行動が相手にとってよいのだろうかも見極める、見返りを求めれる局面であるか見極めることでその考え方が生きてくると思います。

自分の人間性を悪くしない為にも、見返りを求めるのは必要なことではないものなのかもしれませんね。