定年起業はやめておきなさい!
50歳代、60歳代でちょっとした「定年起業」「熟年起業」などという言葉もあるほどで、「定年後も働きたい」との思いを「起業」に賭ける人が増えているのだ。
最低資本金規制が撤廃され、資本金一円から会社がつくれるようになったことが大きな追い風になっているのだが、その分、十分な覚悟も準備もないまま、「とりあえず会社でもつくってみるか」といった安易なケースも増えている。
なかには会社だけをつくって自慢げに「代表取締役社長」の名刺をバラ撒きたいだけの起業家もいる。
「定年後、嘱託で会社に残って、それまで顎で使っていた連中にあれこれ指図されるのはかなわない。再就職先を探すのも大変そうだし、いっそのこと早期退職して会社でもつくろうかと思うのだが」。
「会社をつくって、何をやるの?」と聞くと、「まだ具体的に考えてるわけじゃないが、ラーメンの食べ歩きが趣味だから、できればラーメン屋でもやれたら」と言う。
会社でも?ラーメン屋でも?
会社勤めをしているときは「こんなに働いてこれっぽっちかよ」とさんざん安月給を呪ったものだが、いざ自分で会社を始めてみれば、わずか数人の社員でも、給料日が近づけば、それこそ胃のあたりがキリキリと痛むものだ。
商売というのはいいときばかりではない。
会社をつくるのは簡単だが、それを維持し、発展させ、取引先への支払いはもとより、毎月きちんきちんと社員に給料を払い、気持ちよく働いてもらうのは、傍で考えるほど簡単なことではないのだ。
それを「会社でも」「ラーメン屋でも」などと言われた日には、「商売をなめるなよ」と言いたくなる。
こんやラーメン屋を開くには、一から修業し、商売のイロハとコツを学ばなければいけない。
それまで部下を何十人も使っていた人が、若い職人から「バカヤロー!」と怒鳴られながら何年も修業するのだ。
それがわかっていたら口が裂けても「ラーメン屋でも」などとは言えないはずだ。
行列のできるラーメン屋とかテレビなどで話題になっているから、ラーメン屋でもという発想なのかもしれないが、それがすでに甘い。
同じ麺類の商売を考えるなら、ラーメン屋ではなく、自分でそば打ちの修業をして日本そば屋をやるとか、他人と違った発想をするとかでないと、商売はうまくいかない。
起業の志も夢もないのに、思いつきの動機で、いきなり開業したところで、うまくいくはずがない。
苦労するのは目に見えている。
再雇用や再就職で給料が半分以下に減ったとしても、月々決まったお金が入ってくるサラリーマンの暮らしは、開業後の収入の不安定さに比べたら、それこそ天国だ。
生活の安定を求めるなら、会社経営など考えずにサラリーマンをやっているほうがずっとマシだ。
サラリーマン時代は、与えられた生きがいゆえに会社への不満は多々あるが、毎月給料はもらえるから生活の不安はない。
一方、会社を離れて起業すれば、サラリーマン時代のような組織への不満からは解放されるが、いつつぶれるかわからないのだから、生活の不安はとてつもなく大きい。
つまり、
サラリーマン時代= 「不満はあるが、不安はない」
起業後= 「不満はないが、不安はある」
という図式である。
その差は天国と地獄ほどもあるのだが、気づいていない人が多いのだ。
だから起業後の不安を置き去りにしたまま、会社への不満を自分で商売を始めることで解消しようとする人が出てくる。
社内の人間関係や給料、処遇への不満、あるいは将来の雇用不安などから「ここは一つ、会社でも起こしてみるか」と安易に考えてしまうのである。
起業にはリスクがつきもので、失敗すれば、一億円くらいの負債を簡単に抱え込む会社は倒産、家は借金のかたにとられ、自分も自己破産に追い込まれる。
もちろん成功すれば、巨万の富を手に入れることもできるが、そんな人はめったにいるものではもい。
家が商売でもやっていれば、見よう見まねで覚えることも多いが、サラリーマン家庭に育ち、サラリーマンしか知らない人は、できるだけ会社人生を全うするのがいいように思う。
安易な起業は第二の人生を苦いものにしかねない。
くれぐれもご用心を。