「心優しい人が苦労する」この図式にはまるな
人から求められる人は、当然のことながら、人から頼りにされる人、である。
人から頼りにされる人、頼りがいのある人といわれたり、思われたりするのをはたから見ると、うらやましく思う人もいるかもしれないが、ご当人にとっては、そう喜んでばかりもいられないだろう。
頼りにされるからこそ、いろんな相談ごとが持ち込まれる。
めんどうなトラブルの話なども聞かされることにもなる。
中には、その人のやさしさにつけ込むような甘えで接近してくる人もいるにちがいない。
そして、心やさしい人であればあるほど、こういう甘えを拒絶しにくいのだろう。
そのために身銭を切ったり、いろいろ心くだいたりしている。
「悪貨は良貨を駆逐する」という言葉があるが、甘えがきつい人によって、心やさしい人が苦労する、というのも人間生活のひとつの皮肉な図柄である。
大切なことは、人は、いくら心やさしい人とはいえ、自分が「被害者」になってはいけない、ということなのだ。
甘えのはなはだしい人に対し、その甘えを際限なく許してはならない。
人の力となることも立派なことにちがいないが、何よりもまず、自分自身を大事しなければ、それこそ本末転倒ということになる。
心やさしい人が、単なる「お人好し」になってしまってはいけないのだ。
相手の依頼や申し出を拒絶するのは、かなりの気力や精神力が必要とされる。
また考え抜き、選りすぐった言葉も必要とされる。
そして、可能なかぎりの誠意を尽くし、こちらの状況や気持ちを説明したとしても、相手からの理解を得られるとはかぎらない。
いや、たいていの場合は気まずいことになる。
ことの責任は相手側にあったはずなのに、なぜか依頼を断る側に、ある種の申し訳なさ、後ろめたさが生まれたりする。
相談ごとに対し、「ノー」といえる力、相手の依頼に対して不可能なときはきちんと拒絶する力、これは社会生活を営む上でとても大切な能力であると思う。
だからこそ、きちんと「ノー」といえる人が、結果として人から信頼される人となるのだ。