人間、もちろん感情をもっている。

そして、感情があるからこそ、人間らしいと言える。

感情の豊かな人のほうが、冷徹な人よりも人間的に魅力があるものだ。

だが、あまりに感情に振り回される人は、愚かとしか言いようがない。

感情に振り回されると言うと、女性のほうがその傾向が強いと思うかもしれないが、意外にそうではない。

一見理性的に見えるだけに、男性で感情的な人は要注意なのだ。

この種の人は、面倒見がよく世話好きに見える。

 

たとえば、先輩後輩の関係を重視する。

後輩に対しては面倒見がよく、まるで自分のことのように、世話を焼く。

先輩に対しても、思いやりがあり、私生活にいたるまで心を配る。

たとえ、先輩や後輩が仕事ができなくても人柄を重視し、仕事で人を判断したりしない。

会社でリストラ話が持ち上がったとしても、最後まで断固として反対する。

その意味では、義理人情に厚く温かく魅力ある人物に見える。

だが、これはちょっと問題だと思うのは、こんな時だ。

 

たとえば、営業まわりの途中で、交通事故の現場に遭遇したとする。

運転手同士が互いのミスを言いつのって喧嘩寸前だ。

ところが、この種の人は事故の瞬間を見ていないのに、あいだに入って仲介しようとする。

喧嘩をとめるのはいいこととしても、大事な商談の約束の時間に遅れてしまうことになる。

 

だから、人に対しても一時の感情で、同情する。

自分が力になれないにもかかわらず、かかわろうとする。

結果的には、途中で放りだすことになり、その人がかかわったことによって、かえって事態が悪くなる。

 

この種の人は、物事がうまくいっていて機嫌がいいときは、周囲に対してもとてもいい人だ。

だが、仕事でトラブルを抱えるなど、悩みごとがあるときには、ひどく落ち込んだり、周囲の人に八つ当たりすることがある。

何でもないことで、子供を叱ったり、奥さんに怒鳴ったりする。

 

この種の人は独身時代につき合っているときには、いい面だけを見せるものだが、それでも、言葉の端々に感情に振り回される傾向がわかるものだ。

しばしば口にするのは、「あいつは虫が好かない」「気に入らない」という言葉だ。

また、仕事関係のことも感情で判断する。

 

たとえば、会議の席で議論が交わされたとする。

会議とは、ある論題について論理的に議論する場だ。

人間的に嫌いだから反対する、好きだから賛成するといった場ではない。

自分の意見を批判されたとしても、それは人間性を批判されているわけではない。

論理の上で批判されたら、論理の上で批判し返さなければいけない。

ところが、この種の人は、「いつも、あいつの面倒を見ているので、俺の意見に賛成するだろう」と考える。

また、「いつもあいつには世話になっているから、賛成しなくてはいけないだろう」とも考える。

逆に、「あいつは気に入らないから、今度はこちらが反対してやろう」とも考える。

そして、かわいがっている後輩が反対意見を言ったりすると、「あいつ、いつも面倒を見ているのに、裏切りやがった」と捉えて、怒り出す。

また、「君なんかにわかるはずがない」といったことを言い出す人もいる。

「先輩の私を差し置いて!」とか、「生意気な!」などと、しばしば感じ、それを口に出して言う。

たしかに、このような人はきっと人一倍情感が豊かな面があるのだろう。

それが良い面で出れば、人間的には魅力にもなる。

だが、何事も感情的に捉えて、感情に振り回されるようでは、物事に対して冷静な判断ができない。

上司に叱られて「それなら、辞めてやる」というように、一時の感情に駆られてとんでもない行動をしかねないのだ。

こういう人は機嫌のいいときには、とことんやさしさを発揮するだけに、はじめから女性に嫌われるわけではない。

だが、長くつき合っていくと、その地が出てくる。

一緒に暮らすには、多少疲れる人だと言える。

 

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感情豊かな相手をする周囲の人の対策

この種の人は情緒的な対応をするので、まずはしっかりと機嫌をとる必要がある。

機嫌をとって、悪意がないことを示しておけば、感情的にもつれることはない。

この種の人と社内で意見が対立して反論するときには、「反論するのは心苦しいが、諸般の事情を考えると、それを受け入れることはできない」としっかり説明して、相手の気持ちを考えていることを示すことだ。

そうすれば、この種の人は、比較的簡単に許してくれるものだ。

また、この種の人と一緒になってしまったら、ちょっと相手の気持ちをくすぐるような言葉や態度で、不機嫌にさせないことが、家庭生活円満のコツだ。

それほど悪意があるわけではないので、つき合い方ひとつで何とかなる。

 

感情豊かな人の自覚するためのポイント

この種の人は、情緒的な自分を愛している節がある。

自分を愚かだとは思っていない。

むしろ、冷静な人を「冷徹」「非人間的」と考え、自分のように感情的な人間を温かい人間だと思っているのだ。

だが、その温かさは、人に対する自分の感情の押しつけかもしれないと気がつく必要がある。

感情に振り回されるのを改めるには、自分の感情をそのまま人にぶつけるのを抑える必要がある。

感情のコントロールができずに、そのまま外に出すのは、正直でいいことではなく、大人気ない態度であることを知るべきだ。

感情に曇らされて、理性的に判断できないということは、情けないことなのだ。

それをしっかりと認識する必要がある。