人は何によって老い、何によって死ぬか。

いろいろな見方があるだろうが、「生きがいの喪失、すなわち死」という考え方がある。

生きがいとは人生の目標のことである。

 

人間は目標をもっていないと、あらゆる意味で衰えていく。

生きがいなしに生きていけないのが人間である。

同時に、たとえどれほどささやかなものであれ、明確に意識できる目標があれば、それが生きていく支えになってくれる。

 

生きがいと病気の関連について、以下のような興味深いデータが発表された。

男の場合は「生きがいの欠如」と「ストレスの多さ」、女性は「人に頼りにされないこと」が、循環器疾患で死亡する危険性を二倍以上に高めているというのである。

目標のない人間がいかにダメな存在になってしまうかは、すでに心理学の実験によっても明らかにされている。

 

働き盛りの中高年世代の人を連れてきて、その人の望みを次々叶えてあげるとどうなるか。

ついには何も望まなくなってしまうのである。

たとえば、リストラされて落ち込んでいるようなとき、あるいは再就職活動をやってもうまくいかないようなとき、何もかも投げ出したい絶望感にかられるかも知れない。

そういうときは無理矢理でもいいから何か目標を作ってしまうことだ。

人生では何の目標ももたないよりは、たとえ邪悪な目標でも、ないよりはあるほうがましなのである。

 

たとえばこういう例がアメリカにある。

一人の野球少年が努力して高校卒業と同時にマイナーリーグに入った。

だがいっこうに芽が出ず、メジャーには一度も昇格することなく引退した。

その後大学へ入って勉強し直し高校教師の職を得た。

結婚をして三人の子どもにも恵まれた。

方向転換して平凡だが平穏なそれなりに充実した人生を手に入れたわけだ。

彼は高校野球チームの監督になり、後進の指導に当たった。

ここまでくると、彼のこの先の人生は、誰の目にもおおよその見当はつく。

彼が大統領になる確率と、メジャー選手になる確率を比較したら、たぶん誰もが「同じくらい」というだろう。

すなわち「能う限りゼロに近い確率」でしかない。

だが、そんな彼に奇跡が起きるのである。

彼はあるときチームの生徒を前にこう宣言する。

「もし君たちが地区大会で優勝したら、私ももう一度、プロの入団テストを受けてみるよ」

生徒を励ますためにいった言葉だったが、これが効いて彼が率いる高校野球チームは優勝。

彼も約束を守ってプロ入団テストを受けたら、こちらも合格してしまったのである。

今度もスタートはマイナーだったが、まもなくメジャーに昇格。

二シーズンと期間は短かったが、人々の記憶に残る活躍をしたのである。

「三十五歳で高校教師から大リーガーに転身した男」としてマスコミの注目を浴びた彼の自伝は、たちまち全米ベストセラーになり、激しい権利争奪戦の末に映画化もされた。

以上は「オールド・ルーキー」として、長いメジャー史の一ページを飾ったジム・モリス投手の実話である。

一度挫折した男が再びメジャーと契約して活躍するなど誰が考えつくだろうかこの奇跡を起こさせたのは、たとえ自分の率いるチームを鼓舞するためとはいえ「再度メジャーへへ挑戦する」という目標を設定したことにあったのは明らかだ。

 

目標設定くらい強いモチベーションは他にない。

目標や生きがいを与えると、自動的に目標達成へと行動を始める動物なのだ。

目標がないと人は衰えるのみである。