うまくいく会話には、相手に『いいえ』と言われるか『はい』と言われるのとではウマがあう度合いが変わってきます。

もうひとつ言えば、あなたに対して「そうだね」「いいよ」とイエスで返してくれる人と、「ちがうよ」「ダメだ」などとノーで返す人では、どちらがウマがあうと感じるだろう。

ほとんどの人が、自分の意見にイエスと言ってくれない人を「好きになれない」「そりがあわない」と感じるにちがいないのはないだろうか。

 

たとえば、会社の仲間で飲み会を計画しているとき、「ついでにあの人も誘おうか」と同僚に呼びかけたら、「都合が悪い」と、愛想もなく断られてしまった。

あるいは、「え?なんで忙しいのに、わざわざお金出してまで同僚と飲まなきゃいけないのかなあ」などと、より強い拒否に出会うと、「そこまで言うか」と、自分の考え方にまでケチをつけられたかのように感じる。

そして、その人に対して、「あの人はどうも好きになれない」といった反発を覚えるだろう。

 

もし、誘ってきた相手が、目上の人や、尊敬できる人、好意を持っている異性だった場合、強い拒否の姿勢を示されると、自分の人格まで否定されたような気がして、自信をなくしてしまいかねない。

その逆に、「いいですね。ぜひ、飲みたいですねえ。やっぱり最後はカラオケで締めるんでしょう? だけど、先約があって・・・残念だなあ」などと、結局は提案を受け入れられなかったものの、ひとまず賛成意見を言われると、うれしくなってしまう。

そして、もっと深くつきあってみようという気持ちが起きてくるはずだ。

これは誰にでもある自己防衛本能からきている。

自分に反対するような行動をしたり、逆らうような考え方をしている人がいると、相手が、いつか自分を傷つける側に回ってしまうかもしれないという心理が働く。

自分に逆らう人間はみんな敵のように思え、いつ、足を引っ張られるかわからないといった危険を感じてしまう。

そのため、どうしても事前に遠ざけてしまいたいという心理が働く。

逆に、嫌いだから、その人の意見に「反対したい」「ノーと言いたい」という心理もある。

その人の言うことはなぜか素直に聞けなくて、わざとケチをつけた経験はないだろうか。

どうして、嫌いな人には逆らいたくなるのか。

ひとつには、相手とちがうことをすることで、「相手との間に距離がある」ことを周囲に印象づけようとするためである。

自分が他人から「どのように見られているか」、また、「どのように見られるべきか」ということをたえず気

にしている。

そして、相手が自分に抱く印象を、自分の思っている方向にコントロールしようとする。

これは自分はもちろんのこと、相手も常におこなっている。

 

この印象管理を逆利用すれば、わざと相手と同じことをしてみることで、相手との距離が近くなる。

よく、「同じ釜の飯を食った仲」というが、これは相手と一緒に同じ行動をした結果、緊密な人間関係ができ上がるということをあらわしている。

「いいねえ」

「すばらしい」

「面白そう」

「とにかくやってみよう」

というような イエス, を伝えてみよう。

こんな一言が相手とうまくいくきっかけになったりするのだ。