いくら命令しても意外と人は動かない訳とは

人にやってもらいたいことがあったとき、つい、命令口調で「これをしなさい」と言ってしまう人がいる。

こうした強圧的な命令が効果を上げるのは、その人間関係が主と従という従属関係にあるときだけだ。

同僚や友人といった対等の関係では、あまりしないほうが、つきあいをうまく運ぶためには必要だ。

 

「これをしなさい」と言われたときは、「それをしなければならない」という言葉が足かせになって自由な発想や行動を奪う。

表面的には命令に従歩って頑張ろうとするが、それは本意からの協力ではない。

人から押しつけられたことは、たとえそれが正しいことであっても、積極的には承認できないという心理があるためだ。

自発的に自分で考え出し、編み出したものだけが、自分が本当にやりたいことだし、本当に熱中できることになる。

だから、「こうしなさい」と命令して相手を隷属(れいぞく:他の支配を受けて、その言いなりになること)させるのではなく、相手に納得してもらって協力をあおぐという姿勢で望んだほうが相手からはより強い協力が得られる。

「こうなさったらどうでしょう」というやわらかい言い方もある。

だが、これも結局は命令口調であることには変わりはない。

それよりも、相手が自然にそれをしたくなる方向に持っていくことだ。

相手にその気を起こさせる方法としては、そうすることによって何らかの利益があることを示すことだろう。

 

たとえば相模界では、「土俵の下には宝が埋まっている。それを掘り出せ」と新人力士たちを激励するという。

プロ野球界にも同じように、「グラウンドの下にはゼニが埋まっている」という言葉があるそうだ。

「あなた場の努力しだいで、いい日が見られますよ」という励ましを暗に込めた教訓なのだろう。

 

つまり、人を動かすには、命令ではなく、動機づけをさせるほうがよいのだ。

それも本人が自分で気づき、考え出すように持っていくことだ。

自分で決めたことは、たいていの人が自分で守る。

だから、成功すると違いうことになる。

命令よりも説得である。

 

絶対してはいけないといった事柄が、日常生活にも会社生活動にもある。

しかし、そうした禁止事項が、いつもきちんと守られているというわけではない。

あえてタブーを犯すという人もいるし、中にはタブーを破ることに魅力を感じる人もいる。

しかし、タブーを破ってみたら、「なんだ、こんなことだったのか。つまらない」と思うこともよくある。

 

禁止が強いものであればあるほど、その実態がつまらないものであっても、禁止されたものに強い魅力を感じてしまうという心理がはたらくからだ。

実際は、取るに足らない、ありきたりのものであっても、強く禁止されることで、それが非常に大切なものに思えてしまうのだ。

だから、禁止命令というのは、あまり効果がないことが多いのだ。

また、人にあることをやめさせたい場合、恐怖心に訴えるという方法がしばしば用いられる。

 

たとえば、タバコを吸いすぎると肺がんになるので、タバコを吸わないよう話にしようというキャンペーンで、肺がんに侵された肺のカラー写真や、ニコチンで汚れた肺のカラー写真のポスターを見せてタバコの怖さを訴えようとする。

しかし、実際は、こうした人の恐怖感をあおるようなキャン ペーンは、別の予期しない効果を生み出しやすく、本来の目的を守らせるという効果は、思ったほどない。

というのは、ある行為の結果がひどいものになると恐れれば恐れるほど、ますますその行為を継続したくなるという天邪鬼(あまのじゃく)のような心理が人間にはあるからだ。

 

また、恐怖感を与えて説得すると、説得されたほうは不安が高まるが、それはただ恐怖心を植えつけることだけに終わりがちである。

恐怖心にかられることが意識の中心になり、その不安をどうしたら払拭(ふっしき:除き去って、きれいにすること)できるかという対策までは考えが及ばないからだ。

要するに、不安を強調しただけではよい結果が生まれないということである。

人に何かをやってもらうとき、どういう命令の仕方がいいか。

 

男性のヒラ社員が年下の若い女子社員に、彼女のデスクのそばにある書類のファイルをとってもらおうとする。

このとき、次の四つの言い方があるという。

①「ちょっと、そこにある書類をとってちょうだい」

②「おい、君、そこに置いてある書類をとってくれないかい?」

③「君、すまないけど、そこに置いてある書類をとってくれない?」

④「誠にすみませんけど、そこに置いてある書類をとっていただけませんでしょうか」

さて、このうち、①は自分の意図をあまりにもあからさまに出した命令口調であり、②はいかにも蔑(さげす)んだ言い方で、この二つは命じられたほうとしては腹を立てることになる。

かといって、④のようなかしこまった表現も相手を尊重しているのでいいのだが、忙しい職場ではまどろっこしすぎ、ときにはイヤミとも取られかねない。

これに比べ、③の表現は、わざわざ使いだてする彼女にすまないという思いをあらわしながら、当たりさわりのない言葉で命じている。

これなら、彼女は気軽に命令に応じるのではないか。

丁寧語を使ったからといって命令を聞いてくれるというわけではない。

ビジネスという現場のことも考えに入れるなら、簡潔に当たりさわりのない表現で命じるのがいい。

 

夫婦や恋人同士の間では、馬鹿丁寧に尊敬語を使うのは、かえって逆効果だが、相手に対する遠慮といったものがどこかにあらわれている必要があると思う。

「おい、その新聞をとってくれ」とあからささまに命じるよりも、「すまないが…」という一言をつけ加えるだけでも、相手の反発は少なくなる。

要は、言葉遣いひとつで、反発するか自然に従ってくれるかがちがってくるのである。

「女房とはどうもウマがあわなくて」とはやいている人はこんなことぐらいでと思わずにぜひ試してみてほしい。

奥さんの態度も目に見えてちがってくるはずだ。