「他人のことは、わからなくて当然」と心得る

自分とまったく同じ感覚を有している人など、この世に一人もいない。

しかし、人間はついそれを忘れて相手に「伝わっている」ことを前提としてしまう。

 

ある夫婦が、結婚8年目にして別れた。

子どもの教育方針について、意見がことごとくぶつかったのが原因だ。

妻は「小学校から私立に入れたい」といい、夫は「それでは子どものためにならない」と主張した。

その過程で、お互いが「こんな人だとは思わなかった」というところに行き着いてしまった。

自分たちが出会ったときは、すでに大人同士だったから、「人はどう育っていくべきか」などということについては話し合ったこともない。

しかし、いざ子どもが生まれると、そうではなくなる。

この夫大婦は、はじめて自分たちの間に横たわるとうしようもない価値観の違いに気づいたのだ。

愛し合い、子ともを授かった夫婦ですらこうなのだ。

 

友人や仕事仲間レベルで、互いがわかり合えるはずはまずないと思っていたほうがいい。

もう30にもなろうという男が、「あの人の考えていることがわからない」と真剣に悩んでいる。

好きな女のことがわからなくて苦しんでいるのかと思ったら、何のことはない。

自分を評価してくれていると思っていた会社の上司が、陰で自分のことをよくいっていないらしいと知ってショックを受けたのだ。

こうしたケースに限らず、誰かの本音を知ろうとして、それができずに悶々としている人を見かける。

 

親友のことがわからない

同僚のことがわからない

お隣さんのことがわからない

 

しかし、それで何の不都合があるのだろう。

そもそも、人についてわかろうとすること自体がおかしい。

自分のことだってよくわかっていないのに、人のことなどわかるはずがない。

そこを押さえておかないと、人の家へ土足で入り込むようなことになる。

よく「腹を割って話す」というが、そんなことをする必要はないのだ。

お互いに腹を割って何でも話してみて、それでどうなるのか。

人には、聞いた話を誰にもいわずにいる義務などない。

自分の感覚で何でも話してしまうと、あとからとんでもないことにもなる。

 

大ヒット映画「アナと雪の女王」のおかげで「ありのままの自分を見せる」のが流行になってしまったようだ。

しかし、それは何も、腹の中のものを全部見せ合うということではないだろう。

お互いにいい距離感を保てる、バランス感覚が求められるところなのだ。