「忙しくて遊ぶ暇もない」余計なひとことが人を悲しませる

「なんだか、たいへんそうだね。ちょっと息抜きに、一杯やらないか?」

仕事で壁にぶちあたってどうにもならないとき、同僚がHさんに、こう声をかけてきました。

Hさんは、つい腹立ち紛れにこんな返事をしてしまいます。

「いいよなあ、仕事のできるやつは。オレには飲む暇もないんでね。悪いけど」

イライラしていたとはいえ、せっかくリラックスさせてやろうと気づかってくれた同僚に対し、こういう反応はうまくありません。

とはいえ、誰でも仕事に行き詰まっているときや、家庭がうまくいっていないときにはイライラして、つい、つっけんどんな言い方になることもあります。

そんなときほど、周りの人がとても恵まれているように見えたり、大切なことや考えるべきことを考えることもなくノホホンとしているように見えたり、自分の過去や環境を呪いたくなったりしているものです。

けれども、相手の好意を無にしたり、傷つけたりするのがよくないことは、冷静になればわかることです。

もしパニックに近い状況になっても、その心を忘れないことです。

 

どんな状況であっても、決して使ってはならない言葉は次の通りです。

「いつも能天気でいられていいなあ。悩みなんてないでしょう?」

「エリートはいいよなあ。こんな仕事簡単すぎるでしょ?」

「好きなことが仕事でいいな。うらやましいよ」

「遊びが仕事でいいよねえ。会社で遊んでるみたいなもんだから」

「何も考えない仕事って、楽よね。体使えばいいんだから」

相手の状況や悩み、苦労も知らずに、自分の価値観で思いついたことを安易にいうのは、社会人として失格です。

 

仕事場ではとても能天気に見える人でも、家に帰れば、家庭内暴力に苦しんでいるかもしれませんし、親の介護でたいへんな苦労をしているかもしれません

いつも笑顔で明るく振る舞うのは、弱い自分をひた隠しにしているからかもしれませんし、エリートにはエリートにしかわからない圧迫感を抱えているものです。

「呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする」

夏目激石の「吾が輩は猫である」にはこんな一節があります。

人は見かけによらぬもの、です。

表面だけを見て、「お気楽ね」などという、そのひとことが、人を大きく傷つけていることは多いと思います。