忙しさを楽しんで生きる人の「時間割」

ストレスがたまるのは、時間がありあまっているからともいえる。

時間があるからよけいなことを考えるのだ。

これを防止するためには、朝から晩まで自分になんらかの用を課して、がむしゃらに飛びまわってみるのもいい。

ただし、これは単一の用でなく質の異なった用のほうがいい。

が、このような生活が健康のもとではないかと勝手に思っている。

ストレスは別のストレスを与えることによって転換されるというが、さまざまな人生を生きることがよい気分転換になっているのだ。

また、どんなにせっぱつまり、こなすのに長時間が予想される仕事でも、二時間以上はその仕事にかかわらないことが肝心だ。

気分を転換するためだ。

やらねばならない仕事がいくつもあれば、二時間間隔で並行して進めていく。

一つの仕事を長時間しているよりは、このほうが能率的にはいい。

 

ある男性は新聞社に勤務していて、記者が原稿を書くための資料を分類する係だった。

あまりにも資料が膨大なために休日返上で働き、ついには仕事のことが頭からはなれなくなり、ノイローゼ気味になった。

「休日はきちんと休み、仕事以外に自分のやりたいことを一つもつ」

はじめ彼は休日に休むことは納得したものの、仕事以外の目標をもつことには難色を示した。

しかし、しまいには車の免許を取るために教習所に通いはじめた。

すると、彼の生活は一変し、時間をうまく使いこなせるようになった。

 

生活のなかに無理なスケジュールを割り込ませたため、自然と仕事の段取りを根本的に考え直したせいだ。

忙しいということばにもさまざまな裏の意味が隠されている。

「本当にこなせないような量の仕事に囲まれて忙しい」のか、それとも「ただ漫然と忙しい」と思い込んでいるのか、あるいは「要領が悪いために忙しくなっている」のか、その人の考えかたによって違う。

口で「忙しい」とつぶやく人ほど、どこか時間に振りまわされてむだな時間を過ごしていることが多い。

忙しさはいつまでたっても果てしがない。

だから、忙しがっていれば、いつまでたっても自分の時間が生み出せなくなる。

自分の時間くらい生み出せないというのは、時間の使いかたがまずいせいだ。

そのために、休日まで仕事をもち込むことになる。

時間管理さえうまくすれば、だれでも時間をつくることができるのだ。