上手さや正しさを求めるな
英語を聞くとか、しゃべるとかいうことばかりでなく、英語を書くということについても同じである。
だいたい何事も面白いと思うか、生きていくために必要やむを得ざることと思うかしない限り永続きしないものである。
ところが困ったことに、今述べた如く、何もやらないうちから面白いと感じることは、この世にほとんどない。
僕は高校時代、正直のところ英語が面白いと思った記憶はない。
仕方なくやっていたという方が正確であった。
しかし、その間にも少しずつではあるが実力がついていたのであろう。
僕はある日、ふと何気なく英語でものを書いたのである。
それはまったく『ふと』ということで、偶然であった。
英作文ではなく、英語を何気なく書いたのである。
何となく坐った机の上にノートが開いてあり、それにふと英語を書いた。
その時、それまで英語学習に感じたことのない何かを感じた。
何かが自分のなかで動いたのである。
それから僕は、その自分のなかで動いたかすかなものを大切にして英語を書くことをはじめた。
もともと僕は文を書くのが好きであった。
もちろん、日本文以外には書けない。
しかしその時、短い英文を書いてみたのである。
今まで味わったことのない喜びがかすかに胸のなかを走った。
ヘエー、こんなものかな。
と思い、僕は下手でもいいから英文を書くことをはじめた。
この時、正しい英文、上手な英文を書こうとしたら、まず僕は英文を書くという練習をしなかったであろう。
文法的な間違いなどいい、とにかく下手でもいい。
下手でもいいから書いていると、自然と欲が出てくる。
そうしたら上手な文を書こうと努めはじめる。
僕の場合はそうであった。
自然と欲が出てきたら、多少の困難があっても続くが、そうでないと挫折する。
ほんのちょっとでも興味が出てきたということは、火がチョロチョロ燃えはじめたようなものである。