「そこを何とかしてくれる人」を友人に持つ心強さ
あの人なら、自分がこまったときや窮地におちいったときに何とか助けてやろうと思ってくれるのではないか。
そんな人が身近にいたら、こんなに安心できることはない。
とはいえ、こちらも全面的に何から何まで助けてもらおうというほど厚かましいのではない。
ちょっと都合をつけてくれる人がいれば、日々心強いのである。
こんな話がある。
車の免許を取ったばかりの大学生がチラッとよそ見運転をして、駐車中の車にぶつけてしまったそうだ。
こんなときの処置法は教習所でも習っているのだが、実際に事故が起こると気が動転し、どうしていいのかわからない。
とりいそぎ大学の先輩に電話をかけて、あらましを伝える。
その先輩は、あいにく就職試験の前日だったが、「とにかくすぐに行く」ととタクシーを乗り継ぎ、現場にかけつけ、警察や車の持ち主に連絡し、示談交渉にも立ち会ってくれたという。
車をぶつけた大学生は、ずっとその先輩を慕(した)い続けているそうだ。
それは、忙しいにもかかわらず、自分のためになんとかしてくれた恩人であるからにちがいない。
さて、あなたは、人から緊急のメッセージをもらったとき、何ができるだろうか。
「いま、忙しいんだよ」と、ひとことで誰かの頼みを断ってしまう人と、「忙しいから、あまり時間は取れないけどいい?」と問い返してくれる人とでは、印象は大きく違ってくる。
その後のつき合いや信頼感も、このようなひとことが大きく影響するだろう。
先の大学生もいまは社会人となっているが、「先輩に何かがあれば、まっさきにかけつけて・・・」という気持ちだけは強いようだ。
人と人との関係というのは、一方が窮地に追い込まれたときにどう動くかで「本当の姿」が決まってくるのかもしれない。
溺れる者はワラをもつかむ(おぼれるものはわらをもつかむ:人は困窮して万策尽きたとき、まったく頼りにならないものにまで必死にすがろうとする)、のである。
「ワラ程度にしか役に立たないけれども・・・」といってくれる人でも、溺れている人にとっては船のように心強いということだ。