完壁を求めたり必要にしないこと!
完壁な人間などいない。
二分の隙もないふうを装っていても、いずれボロが出てしまう。
心に鎧をまとっていては、疲れるだけである。
人間なんてスキだらけ、恥ずかしいことだらけでいいのだ。
大切なのは、そんな自分をどう高めていくかを考えることである。
もっと自分らしく、肩の力を抜いて普通に生きようと思えば、息苦しさがスッとなくならないか。
Contents
自分を笑い飛ばそう
人生には、失意の時がある。
会社を辞めて事業を試みたが、あえなく失敗した。不況のあおりでリストラされた。
結婚生活が破綻した。信頼していた友人に裏切られた。
まさに、この世の悲惨を独りで背負い込んだ気持ちになる。
失意の闇が深ければ深いほど、気持ちを立て直すのは容易なことではない。
そんな時、闇に一条の光を投げるのがユーモア、ジョークである。思い通りにいか
なかった自分も、つらい立場に置かれている自分も、笑い飛ばす。
そこに心のゆとりが生まれるのだ。
逆に言えば、ゆとりがなければ我が身の不幸を笑い飛ばすことなどできないとも言えるが、ともかく、つらい自分を冗談のネタにしてみると、立ち直る力がわいてくるから不思議だ。
笑いにはマイナスをプラスに変換させるエネルギーがあるのだろう。
期待値を二割下げてみる
人生を充実して生きたいと誰もが思う。
その理想やよし。その意欲があるから、仕事でも、恋愛や人間関係でも、より高いところを目指し、自己研鍛(じこけんさん)につとめることができる。
しかし、だからといって完壁主義は危うい。
人間は100パーセントを望むと、たいがい失敗する。
この世界に「100パーセント」は存在しないからである。
完壁を求めて自分を駆り立てることは必要だが、「完壁でなければだめだ」と考えて、自分を追い込んではいけない。
気持ちに大きな負担がかかり、楽しかるべき人生が堅苦しくなってしまうではないか。
人生はつねづね、80パーセント主義で生きるのがいいと思っている。
2割のマイナス部分をあらかじめ見込んでおけば、つまずいたとしても「まぁ、こんなこともあるさ」と納得でき、焦りやいらだちを感じることもない。
マイナスを見込むことでプラス思考になれるわけだ。
人生の80パーセント主義こそ、しなやかな生き方の極意である。
年齢を重ねれば重ねるほど、その割合は落としても十分だと思っているほどだ。