行動する時に忘れてはならないこと

人は、憎しみにとらわれた行動をしてはいけない。

誤解のないように付言すれば、僕が主張したいのは、憎しみの感情を持つな!ということではない。

憎しみの感情に動機づけられた行動をするな、ということである。

憎しみの感情を持つまい、とすると、それは抑圧されて、素直でない性質になる。

 

人間は誰だって他人から悪口をいわれたり、公に侮辱されれば面白くない。

そんな時くやしいという感情を自分に否定する必要はない。

あるいは必死になって感情を操作してその不快なことを忘れようとしても無理である。

人間は意志の力で、ものを忘れることはできないのだから。

忘れよう忘れようとすれば、実は余計くやしくなってくる。

なんとか感情を工夫して相手を許してやろうとしても無理である。

われわれは自分が憎しみの感情を持つことを否定してはならない。

われわれが自分に禁止すべきは、その憎しみの感情に動機づけられた行動をすることである。

 

友人に悪口をいわれてくやしいといって、友人の悪口を他所でいいふらせば、余計その友人が憎らしくなるだけである。

友人に悪口をいわれてくやしければ、くやしいと思えばいい。

そして他の友人と野球をやって汗をながせばいいのだし、好きな本を読めばいいのだし、毎日の予定の行動は会社であれ、学校であれ、サボらずにかよえばいいのである。

黙って笑って恨みそのものを取り去ろう。

忘れようとすれば、いよいよその恨みのとりこになる。

いよいよ思考の視野は狭くなり恨みにとらわれる。

実際は恨んでいるのに、恨んでいないようなふりをしていると、いよいよ恨みがましくなる。

つまり、恨んでいるという自分の感情から逃げているからである。

恨みは恨みとして恨んでいればいい。

しかし他の領域での行動はつらくても続けることである。

 

失恋した時にいいのは、とにかくおいしいものを腹いっぱいに食べることである。

それを恨みがましく家にこもってじーっとしていると復讐の鬼となってしまうからである。

おいしいものを腹いっぱい食べることは失恋とは関係ない。

しかしこの関係のないことをすることが大切なのである。