この「ちょっとオーバーリアクション」の絶大な効果

演劇の世界でも、音楽の世界でも、落語の世界でも、舞台に上がった人をその気にさせるかどうかは、観客のリアクションにある。

客席で居眠りしていたり、ザワザワとした話し声が聞こえてくるようなホールでは、舞台の上にいても集中できない。

これでは、おもしろい話も、いい演奏も、いい芝居もできなくなるだろう。

それで、結局、誰が損をするかといえば、観客ということになる。

高いチケットを買って、安い芸を見せられるということになる。

 

魚心に水心(うおごころあればみずごころ:相手が好意を示せば、自分も相手に好意を示す気になる。相手の出方しだいでこちらの応じ方が決まること。)ということだろうか。

相手の気持ちしだいで、人と人との関係はグッとよくなるはずだ。

相手に気持ちよく接してもらうためには、まず、こちらが気持ちよく接することだ。

そうはいっても、なかなかむずかしいかもしれないがひとついえることは、楽しいことやおもしろいことがあったときには、少々大げさに思えるくらいの表現を身につけることだ。

 

欧米では、オーバーアクションとも思える人をよく見かける。

表情も本当にうれしそうだ。

慣れないうちは、「何もそこまでしなくても」とも思うが、悪い気はしない。

知らず知らずのうちに、こちらまで楽しい気分にさせてもらっている。

 

日本人は表現ベタといわれる。

楽しくても、おいしくても、なかなか素直に感情をあらわさない。

レストランでも、帰り際に「おいしかったですよ」と声をかける人も欧米に比べて少ないようだ。

 

奥さんがおいしい料理をつくっても、何もいわずに新聞を読みながら食べる夫もいれば、夫が苦労して昇進しても、「あつ、そう」と軽く流してしまう奥さんもいる。

これでは、どっちもどっちで、お互いに相手の意欲を失わせ、いい仕事をさせないように仕向けているようなものだ。

これでは、結局は自分が損ではないのか

「おいしいよ、今日の料理。日に日にうまくなるね」

「課長になったのね。おめでとう。私もうれしいわ。あなた、がんばったものね」

そんな言葉をかけられる人になってみてはどうか。

お互いに、また意欲が出るような言葉をかけ合いたいものだ。

ただし、あまりにも見えすいたお世辞はよくない「ちょっとオーバー」これがコツである。