仕事とプライベートは区別すべきか?
どんな仕事でも、考え方ひとつで、ラクにもなれば苦しくもなる。
たとえば仕事の締め切りが三日後に迫っているとき、あなたは「あと三日しかない」と考えるタイプだろうか、それとも「まだ三日もある」と考えるタイプだろうか。
どちらがいいかはケースバイケースだが、どう考えるかで、三日間の過ごし方は大きく違ってくる。
「頭のいい人」は、そのあたりの気のもちようがとてもうまい。
自分を追い詰めて苦しむような道は、まず選ばないのだ。
その極意は、「何事もデジタルに対処しようとしない」ということである。
いまや、なんでもデジタルというご時世。
アナログなものは、機械も人間も遅れているということにされがちだが、ロボットではない人間は、もともとアナログな生き物である。
とくに日本人は〝清濁併せ呑む”なんていう言葉もあるくらい、アナログでファジーな生き方や考え方が得意なはずなのだ。
「清濁併せ呑む」とは、「善でも悪でも分け隔てなく受け入れること」。リーダーや上司などの度量が大きいことを褒める時などに使用します。
たとえまわりの機械はみなデジタルでも、人間の考え方までデジタルになってしまうと、これはとても窮屈なことになる。
「オンとオフの境界線を曖昧にしておく」という考え方も、そんなアナログ的発想のひとつだ。
もちろん、いまどきは、オンとオフ、仕事とペライベートを分けたがる人がひじょうに多いことを私は知っている。
若い人ほどそうで、仕事が終われば先輩から酒を誘われても、さっさと帰宅してしまう人がすくなくない。
だが、それはけっして悪いことではない。
仕事が終わった以上、あとは自分の時間として大切に使えばいい。
しかし、この考え方を徹底しすぎると、まずいことが起こってくる。
オンの時間が長くなって、なかなかオフの時間がとれなくなると、しだいにイライラがたまってくる。
あるいは、酒の席で、話が自然に仕事の話になると、とたんにイヤな気分になってしまう、、、そんなビジネスマンがすくなくないのだ。
これは、はっきりいってソンである。
オンとオフをきっちり分けるという考え方の根底には、基本的に仕事とは苦しいもの、イヤなものだとする考えがあるのだろう。
しかし、これでは、どんな仕事もラクに進めることはできない。
〝好きこそ物の上手なれ〟というように、その仕事が好きなら、仕事の進め方もうまくなる。
結果として、オフの時間もつくれるようになるものなのだ。
というわけで、まずは、その仕事を好きになることが大前提なのだが、そのうえで、オンとオフの境界線をあえて曖昧にしてしまうことをおすすめする。
仕事のアイデアというのは、酒場のカウンターでふと浮かぶこともあれば、休日に公園を散歩していて浮かぶこともある。
その確率は、退屈な会議などよりよほど高いはずだ。
また、オンとオフの切り替えには、何かと手続きが必要だが、それがかえってわずらしい場合もある。
それなら、境界を曖昧にしておいて、いつ仕事のことが思い浮かんできても、それを受け入れ、楽しんでしまったほうがいい。
これは“ゆとりある公私混同〟といえばいいだろうか。
仕事をとるか家庭をとるか、仕事をとるか趣味をとるかそんな二者択一はまことに意味のないデジタル思考だ。
じっさいの生活はオンとオフが渾然一体(こんぜんいったい)となっており、その混沌を楽しんでしまったほうがラクなのである。