人は「肩書き」で素直に判断すべし
会社のように立場が明確に定まっている場所では、「肩書き」が大きくものをいう。
「あの人が部長だなんて絶対におかしい。上層部にコネがあるだけなのに」
「課長がちょくちょくズルい手を使っているのを、上は知らないんだ」
「あんな性格の人が上司だから、部下はどんどん辞めちゃうんですよね」
などといっても始まらない。
「人間は中味こそが大事だ。裸になったその人で判断しろ」
こうしたことが、よくいわれる。
たしかに一理はあるが、仕事ではいちいち相手の人格など斟酌(しんしゃく:相手の事情や心情をくみとること。)せずに、肩書きで判断されることがたくさんある。
また、外へ出ても肩書きで判断される。
あえていえば、人は肩書きで判断すべきだと私は思う。
コネだろうとズルかろうと、性格が悪かろうと、会社はすべてわかっている。
それらを承知のうえで仕事ができると判断し、肩書きを与えている。
そこで反発したり、やっかみを抱いても仕方がない。
その人の肩書きと自分の立ち位置を見定めて、その通りの距離をとればいいのだ。
「常に全体の20%の人間が、80%の仕事を行なう」というのがパレートの法則だ。
また、アメリカの教育学者ローレンス.J·ピーターは「人は無能の範囲まで出世する」といっている。ピーターの法則である
つまりそこに至るまでの仕事で、会社の経営は成り立っているのだ。
そして、人は、その組織内における限界点まで出世し、それを超えれば無能になるということだ。
かつての私の同僚に、入社して同期の誰よりも早く昇進したのに、部長になったとたんダメになった男がいた。
彼にとって、部長は無能の範囲だったのだ。
これは誰にも当てはまることで、課長で早くも無能の範囲になってしまう人もいれば、副社長まで行って社長が無能の範囲とわかるケースもある。
会社は、それらを含めて人事を決定している。
決して伊達や酔狂でやってはいない。
無能の範囲だと判断したら、その時点で出世はストップするだろう。
降格させられるかもしれない。
だから、周囲は四の五のいわずにその肩書きに従っていればいい。
その人は肩書きにふさわしい人間なのだ。
もしふさわしくない肩書きであれば、放っておいてもその人は放逐される。
「気の合わない上司や、尊敬できない上司を前にして、いったいどういう立ち位置で仕事を進めればいいのか」などと悩む人は多いが、悩む必要はない。
たとえば、相手が部長で自分がヒラ社員なら、余計な感情は挟まずに、その肩書きの差だけの「距離」をあける。
部長は部長としての肩書きで尊敬すればいいのだ。
そうすれば、仕事は何の問題もなく円滑に進む。
「山から遠ぎかれば、ますますその本当の姿を見ることができる」と語ったのはアンデルセンだ。
なまじ近くにいればいるほど、上司の本当の姿は見えなくなってしまう。
きちんと冷静に距離をとってみると、意外にその価値がわかってくるものだ。
人は肩書きで判断し、自分も肩書きで判断してもらえばいい。
余分なことは考えず、目の前の仕事を確実にこなしていれば、いつか自分にふさわしい肩書きが与えられるだろう。
仕事の人間関係では、それが最も適切なモノサシになる。