遊びも徹底してやるからこそ、明日への活力が生まれる
ホンダの創業者の本田宗一郎さんが、遊びが大好きだったのは有名である。
それは徹夜明けで帰宅しても、そのまま洋服を着替えて遊ぶために飛び出していった、というくらいなのだから筋金入りの遊び人だ。
「俺は思いっきり遊ぶために、仕事してるんだよ」と本田さんは言ってはばからなかったそうで、遊びをしっかりやる人ほど、仕事もしっかりできることを、身をもって示している。
中途半端にしか遊べない人は、中途半端にしか仕事ができない。
一流の仕事人は、遊ぶときにはがっちり遊ぶのだ。
国民栄誉賞を受賞するくらいの王貞治さんも、若かりし頃は、夜遊びが好きで、門限破りの常連であった。
ただし、思いっきり遊ぶ一方で、思いっきり練習をしたことは言うまでもない。
遊びっぱなしではないことには注意してほしいが。
思いっきり遊ぶと、「こんなに遊んだのだから、仕事も頑張らなきゃな」という気持ちが生まれる。
遊びに遊ぶと、「やばいぞ、遊びすぎた」と罪悪感のようなものも芽生えて、その罪悪感を打ち消すために、頑張って仕事をする、ということもある。
ともかく、目一杯遊ぶと、仕事をしようというモチベーションがむくむくと高まっていくのである。
学習心理学の領域では、ぶっつづけで勉強をするより、適当にサボりながら、休憩をとるようにすると、かえって能率が上がることが知られている。
マジメにひとつのことをやりつづけるより、多少は遊びをいれたほうが、かえって能率が上がるという人間の不思議である。
ある仕事をやっていて、努力しているときには絶対にできなかったのに、休憩をおくと、なぜかできるようになってしまうこともある。
スポーツのある技術をマスターするため、訓練しているときはできなかったのに、数日ほど休んでからもう一度やってみると、なぜかうまくできてしまうこともある。
遊ぶのは、決して有害ではない。
生真面目すぎる人は、仕事をやることだけがよく、遊ぶのは有害だと思っている。
しかし、それは間違いだ。むしろ、仕事の能率を高めるのに、遊びは大変に役立つ。
遊びなくして、最高の仕事はできないのである。
最近のビジネスマンは、何か小さくまとまりすぎているというか、豪快な遊びができなくなっているというか、ともかく小粒である。
それはそれでよいのかもしれないが、一流の仕事人を目指すのなら、大きな仕事が終わった後くらいには、ガッンと遊ぶのも悪くない。
たっぷり遊ぶと気分がスッキリする。当たり前のようだが、遊びの効用をもう少し大切に考えてみよう。
遊びというのは、許されざる悪徳のようなものではなくて、むしろこわばった身体と心を正常に戻すために必要な時間なのだ、と思うようにしたほうがいい。
たっぷり遊ぶのは、たっぷり仕事をするのに絶対に必要だ。