人の悩みを聞いたとき、それに対して意見やお節介をする行為ってだれでもあります。
その行為が以外に自分の事を他人に置き換えて言っていることが多いものです。
今自分の中で解決していないこと、自分では気が付いていないが、意見を言っているとき、「あれ、これ自分のことだ」を改めて考えることもある。
悩みの中にも、悩んでしかたのあることと、しかたのないことがある。
しかし、自分にはどうしようもないことを真剣に悩んでしまう人が多い。
こういう場合、その人には、他に悩みのタネがあるのだ。
それは、自分の問題だ。
しかし、その問題に取り組むのはとてもつらいことなので、しかたのないことについて悩む。
つまり、自分の問題から逃げて、守備範囲外のことに心を砕く。
なぜなら、守備範囲外のことなら、比較的安心して悩めるからである。
例えば、他人の家の親子関係がうまくいっていないことをとても心配し、いろいろなおせっかいをやく人がいる。
親身になつて世話をしてくれるという点では、いい人に違いない。
しかし、本当はその人本人の親子関係に問題がある場合が多い。
その人自身が、親子関係で傷ついている。
自分を癒したいのだが、どうしたらいいかわからない。
自分のことを真正面から見つめるのはつらいし、難しいことなのだ。
そこで、他人の問題にすり替える。
他人の親子関係について一生懸命に考え、他人の親子関係を直してみようとがんばるわけだ。
それでは、守備範囲外のことで悩まないほうがいいかというと、そうでもない。
最初は他人の問題だと思って関わっているうちに、実は自分の問題だとわかってくることもある。
また、安心して悩んでいるうちに、自分のことに直面する勇気が出てくる場合もある。
他人を癒そうとしているうちに、いつのまにか自分が癒されている場合もある。
とっかかりは、何でもいいのだ。
下手に、「そんなことは、あなたの問題じゃありませんよ」というアドバイスに従うと、自分の問題にたどりつくのに遠回りになってしまうこともある。
もし、自分の守備範囲外のことなのに気になってしかたのないことがあるなら、ぜひよけいな心配をどんどんしてみる。
そこにはきっと、あなたに関する何かの鍵がある。
守備範囲外の心配は、その鍵を見つけるためと心得よう。
「こんな心配をしているのは、本当は他人のためではなくて自分のためなのだ」と自覚していれば、よけいなおせっかいで事態をややこしくすることもないはずだ。