われわれを疲れさすのはストレスであって、仕事そのものではない。
会社にいて何もしなくても疲れる。
いや会社で生き生きと仕事をしているよりも、会社がいやでいやでたまらなくて、何もしない人の方がはるかに疲れる。
会社に喜んでいる人より、会社から早く逃げ出そうとして緊張している人の方がはるかに疲れる。
このように常にストレスを感じている人は、小さいころ自分を育てた親に心から甘えることのできなかった人であろう。
いや甘えられる親がいなかったというのならまだよい。
逆にいつも気がねをしなければならない親がいたということである。
甘えたい気持ちは小さいころは誰でも持つ。
しかし気むずかしい親を持った子供は、親に甘えたいけれども甘えられない。
それどころか、いつ親の不機嫌を買うかと、いつもビクビクしている。
本当に心から親に甘えられた子供は、甘えの心理を克服し、不安を自分の基本的な感情にしないでもすむ。
しかし、小さいころ甘えるどころか、気むずかしい親に対していつも恐怖にかられて、ビクビクしていた人間は、その後も不安にかられて生活するようになり、神経過敏になる。
神経過敏なサラリーマンほど疲れ易いサラリーマンはいない。
そのような人は何でも決め込んでしまうような人間になる。
決め込んでしまうのは、常に不安だからである。
「やっぱり」 ダメだったかと、よくいう人がいる。
その人がたった一度の失敗を過大に考えてしまうのは、失敗することを極度に恐れているからである。
そして、われわれの疲労の原因は、この極度の恐れなのである。
「やっぱり」 というのは、不安にかられて、そのことを予想しているから出てくる言葉である。
小さいころ、何かにつけて失敗を叱られていた子供は、失敗することを極度に恐れるようになる。
また、子供の失敗を必要以上に叱り、成功を必要以上にほめる親は、その親自身が自分のなかに失敗への恐怖を持ち、そうした自分を嫌っているのである。
自分が自分を嫌っている親は、その心の葛藤のはけ口を子供の失敗に見出す。
そして子供の失敗に渋い顔をしたり、叱ったり、さらには「どうしてこんなことができないんだ」と、自分の心のイライラを子供にぶつける。
そして子供の成功を見ては、社会に優越感を覚えて、それを心の支えにする。
そしてより以上に子供が成功するように尻をたたく、ということになる。
一方子供は激しく成功を望むからこそ、できることもできないということがある。
子供は失敗を恐れて常に萎縮(いしゅく)してしまう。
伸び伸びとすることがない。
肩から力が抜けない。
ガツガツして、いざという時になると恐怖が先に立ち、自分が自分のいうことをきかなくなる。
そして「やっぱりダメか」ということになるのである。
神経過敏でガツガツしている人の姿は、小さいころから親の欲求不満のはけ口の対象になって生きてきたあわれさを漂わせている。
何事にもとらわれないで、伸び伸びとして生きている人は、小さいころ親の機嫌をうかがって萎縮して生きる必要のなかった人なのである。
そして親に気がねせずに甘えることができた。
それだけに甘えを克服し、不安の心理を発達させなくてすんだのである。