恋愛向きの人か、結婚向きの人かを間違えるな
私の若い頃には、男も女もたいていは20代から30代半ばまでには結婚したものだ。
いまのように男女が知り合う場が少なかったにもかかわらず結婚できたのは、お見合いなどによるところも大きい。
しかし、それ以上に、本人たちの「結婚して社会的に認められたい」という思いが強かったのではないかと思う。
いまは、いくつになっても親に寄生することが許されるが、以前はそうではなかった。
男も女も、結婚して所帯を持って一人前と思われるようなところがあった。
結婚とは、重要な「社会制度」であることを、みんな若いときから意識していた。
いまの若い人にとって、結婚は恋愛の延長なのだろう。
「恋人との、この甘い生活がずっと続く」のが結婚だと思っている。
だが、いま甘い生活が送れていて、それを続けたいのなら、恋人のままでいればいい。
あえて結婚する必要はない。
はっきりいっておきたいのは、恋愛と結婚では、二人の間の距離感はかなり違ってくるということ。
よく、結婚届のことを「紙切れ一枚」と表現する。
たしかに紙切れ一枚だが、役所に届けるこの紙切れの効力は大きい。
お互いに80歳で結婚届を出して、その翌日に夫が死んでも、その財産は基本的に妻のものとなる。
日本は法治国家だからだ。
結婚という法律で決められたシステムには、権利と義務が伴う。
ある30代の女性は、20歳そこそこで結婚したことを後悔していた。
若いから気づかなかったが、夫はつまらない男だった。
公務員としてふつうに働いてお金は入れてくれるが、とくに趣味も持たずに、毎日決まった時間に帰ってきてテレビを見て寝るだけだ。
「別れたい」と申し出たが拒否された。
家庭裁判所でも認めてもらえない。
浮気をしているわけでもない夫には、何の落ち度もないからだ。
「絶対に別れてやらない」というのが、この夫の生き甲斐になっているようにも思える。
これが恋人同士なら、「別れるのはイヤだ」といわれても荷物をまとめて出て行ってしまえばいい。
ストーカーにならないように注意をすれば、関係はすぐに切れる。
だが、結婚してしまえば、いくら姿をくらましても法的には夫婦なのだ。
別の側面もある。
建築現場で働く50代の男性が、自宅で脳梗塞の発作を起こした。
長く夫婦同然につきあっていた女性が居合わせて、救急車を呼んだ。
だが、病状の説明については「家族でなければできない」と医者からいわれた。
結局、職場の上司が男性の兄に連絡して、その兄が説明を受けた。
田舎に暮らす兄は女性の存在を知らず、倒れた男性は意識が混濁したまま何もいってくれない。
制度上「他人」の女性には、話を聞く権利さえ与えられないのだ。
私は、人にはそれぞれの人生観があり、結婚をしようとしまいとどちらでもいいと思っている。
しかし、どちらの結論にしても、結婚とはどういうものかを正しく理解しておく必要はあるだろう。
「結婚前には両目を開き、結婚してからは片目をつむっていることだ」と、トーマス・フラーはいっている。
少なくとも、結婚を甘い恋愛と同じようなものだと、とらえないほうがいい。
そもそも、結婚が恋愛の延長線上にあるものだと考えていると「結婚したいのにできない」という人が続出するだろう。
カッコよくプロポーズしてくれる、あるいは感動して応えてくれる相手がいない限り、結婚などできない。
だが世の中に、それほど恋愛上手が多いとは思えない。
また、めでたくプロポーズが成立した恋人同士は、おそらく、その日が大きな転換点だったとあとになって気づくことになる。
結婚してみたら、親戚やら夫の会社など、やたらと社会的つきあいが増え、思い描いていた甘い生活などは送れない。
この点、「できちゃった婚」のカップルのほうが、うまくスイッチの切り替えができるかもしれない。
望むと望まざるとにかかわらず、二人はすぐに父や母という社会的存在になるからだ。
恋愛はドキドキする相手と、結婚はホッとする相手とするのがいい。
そのあたりが、最も幸せな男と女の距離感ではないだろうか。