バットは振らなければ球にあたらない
神経質な人は何でもいいからとにかく行動した方がよい。
小さなことにも迷い出すのは気力がおとろえてきている証拠である。
ほうっておけばいよいよあらゆることに、『どうしようか』と迷い出す。
気力が衰えている時は、何かしようとふと思っても、次にはめんどうになってやめようかな、ということになり、時がたつにしたがっていよいよめんどうさがましてきて、結局やらないということになる。
やがては行動は減る一方になる。
そしていよいよ何事もめんどうになってくる。
どちらにしてもたいした違いのないことでも、なかなかどちらにも決められなくなる。
したがって、何かをしようと思ったら、とにかくことのいかんを問わずやることが、抑うつになりがちな人には大切である。
『ふと会社に行くのがバカらしくなる』というサラリーマンがいる。
そして会社を休む。
会社に行くことだけがバカらしくて、他に何か猛烈にやりたいことがあるのならいいが、たいていはそうではない。
会社に行くことがふとバカらしくなって会社を休んでも、他に何かしたいわけではない。
やがて外に散歩に出ることもめんどうになってくる。
最後には友達に電話することさえめんどうくさくなってくる。
気持ちはどんどん沈んでいく。
抑うつと戦うのに大切なことは、ふとバカらしく思えても、そのことをやり続けることである。
こんなことをしていて何になるのだろう、と思っても、そのことを中途でやめないことである。
学生の場合なら『ふと学校へ行くのがいやになる』ことがある。
そして学校をサボると次々にいろいろのことがいやになる。
抑うつ的な人間、無気力な人間、ノイローゼ気味の人は、『見おくりの三振』をした人なのである。
バットは振らなければ球にあたらないのだ。
少年たちの野球の試合を見てみるがいい。
負けてきて、チームの少年たちの気持ちが沈んでくると、監督は大声でどなる。
『声を出せ』
負けてきた時、黙ってもくもくとして試合をしていたのではいよいよ気持ちは沈んでくる。
その時、声を出す。
気持ちの沈みは仕方ない。
しかし声を出すと、元気が出てくるのである。
そんな時、声を出すのがバカらしくても、理屈ぬきでとにかく声を出すことが大切なのである。