誰だって、「あなたと同じくらいの大変さ」なのです

夫が、深夜になってタクシーで帰宅したら、家族はみんな寝静まっている。

その日は、心身ともに疲れていたらしく、早く家族の顔を見たかった。

ふたことみことの言葉を交わせば、それだけで気持ちはホッとする。

ところが、タクシーから降りてみれば、玄関はおろか家の中もまっくらである。

 

文字どおり、闇に取り残されたような気分になりはしまいか。

「闇」という字は「門」の向こうから、シーンというなんともいえぬ「音」が聴こえてくるのである。

この寂しさは、経験した者でなければわかるまい。

なんか自分の帰宅を拒否されているような気分にもなり、どっと疲れが出てくる。

そっと玄関の扉を開けて、忍び足で廊下を歩く。

自分の家なのに、どうしてこうも遠慮しなくてはならないのか。

だんだん、ムシャクシャしてくる。

そのまま寝室に入ると、妻の寝息が聴こえてきて、カーッとなる。

 

「おれが仕事でへトヘトになって帰ってきたというのに一体なんだ。気持ちよさそうに寝てやがって!おれの大変さがわかってない!」

と声を荒らげたことはないだろうか。

そうなったら、妻のほうにも言い分がある。

「あなただって、私の大変さがわかってないじゃないの。朝から家族のご飯をつくって、あなたと子供三人を送り出し、掃除をして、洗濯をして、そんなことを十四、五年も続けているのよ。あなた、やってみなさいよ」

と夫婦げんかが始まり、お互いにいい合って、クタクタになって朝を迎えるというのだから、夫婦というのは本当に大変なもの、しんどいものといえるかもしれない。

 

人と人というのは、お互いにわかっているようでいて、お互いに「相手がいま何をしているのか」しか見ていないことがある。

だから、相手が寝ていれば、相手より自分のほうが大変な思いをしている・・・つい、そんな錯覚に陥りがちである。

しかし、相手もまた、あなたには見えないところで大変な思いをしている。

おそらく、あなたと「同じくらいの大変さ」でがんばっている。

そこは相手の奮闘ぶりを想像するしかあるまい。

自分だけがんばっていて、相手はラクをしている。

そう思う人は、想像力のない人だ。