根拠を言わずに決めつける

自分の意見を言ったら、その根拠を説明する必要がある。

たとえば、恋人に別れ話を持ち出して、その理由を言わなければ、相手は怒り狂うだろう。

昔は、それでも許されたかもしれない。

男の場合、とりわけ、黙って別れるのが、美学だったかもしれない。

だが、説明責任があちこちで言われる現在、そのような感情的な面においても、しっかりと根拠を示すことが求められる。

仕事や政治経済的な意見の場合は、なおさらだ。

ところが、根拠を言わない人がいる。

その種の人は、このようなしゃべり方をする。

「ぼかし言葉を使うんじゃない。みっともないじゃないか」「私立の中学に子供をやるなんて、意味がない」「この失敗は君の責任だ」。

もちろん、この後に、なぜばかし言葉はみっともないか、なぜ私立の中学に子供をやるのは無意味なのか、なぜその失敗の原因は「君」にあるのかを、きちんと説明すれば、それでよい。

ところが、それはない。この人の話はこれで終わってしまう。

誰かが、「なぜなんですか」とたずねると、この種の人は、「そんなこともわからんのか」「自分で考えてみろ」「とやかく考える必要はない。悪いに決まっている」「そんなことは当たり前だ」などと、答えにならない答えを言う。

 

もちろん、上司が部下を叱る場合には、たまには、自分で考えさせたいという意図があって、わざと根拠を言わないこともあるだろう。

自分で発見してこそ、それが本当に自分の身になる

ことはある。だが、根拠を言わずに相手を説得しようとしても、それは無理な話だ。

その根拠に説得力があってこそ、人は信頼するのだ。

それなのに、きちんと根拠を言えないということは、自分でそれを言えない、つまり、愚かだということにほかならない。

ところで、この種の人は、しばしば、「嫌いだから、嫌いに決まっている」「好き嫌いだから、仕方がない」といった言葉を使う。

そして、さまざまなことについて、根拠を言うことを拒不否する。

いや、根拠を考えようとしない。

だが、味の好みなど、生理的なものを除いて、好みにも根拠はある。

恋愛ドラマが好きなのはなぜか、サスペンスドラマが好きなのはなぜか、何かしら理由はあるだろう。

たとえば、「幸せな恋愛を見ていると、自分も恋をしている気分になれるから恋愛ドラマが好き」とか「殺人の謎解きなど、謎を解くのが頭の体操になっておもしろい」などの理由だ。

それを言えないということは、自己分析できないということでしかない。

いや、食べものや味の好みでも、「私は東北の出身なので、この種のものを好む」 「遺伝的に、アルコールは苦手だ」などの理由はあるはずだ。

そのような理由を言ってこそ、相手は納得する。

そうした努力を払う必要がある。

この種の人が政治的な話をすると、ますます始末に負えない。

「日本は再軍備して、敵から攻撃されないようにしなければいけないに決まっている」「どんな戦争だって悪いに決まっている」などと語って、なぜそうなのか、言おうとしない。

いや、どうやら、そうしたことは考えたことがないらしい。

根本のところを考えずに、ただ、同じような価値観をもった仲間内でしか、話をしていないのだ。

だから、表立ってたずねると、怒り出してしまう。

ことに仕事に関して、根拠を示さずに、決めつけられてばかりいたら、部下としては困る。

理由をたずねても、いつも「自分で考えろ」と言われているばかりでは、「この人は本当は理由がわからない」と思われる。

それでは部下がついてくるわけはない。

若い人たちとつき合わざるを得なければ、当然彼らとは価値観が大きく違う。

しかも、これからは、社内だけでなく、価値観の異なる人間と交流することが多くなる。

そんなとき、根拠をしっかりと示せない人は、愚かそのものにしか見えない。

 

周囲の人の対策

この種の人が根拠を言えずにいるとき、考えられるいくつかの根拠を示して、そのうちから選択してもらうのも、ひとつの方法だ。

つまり、「私の責任だと言われますが、その根拠は、・・・ということですか。

それとも、・・・ですか」といった聞き方をするわけだ。

そう聞けば、何も考えていない相手であっても、どれかを選択することができるだろう。

それでも、根拠を示せないようであれば、相手はただ感情的な価値観でしか、ものを言っていないのだ。

そんな人が上司なら、その人の決めつけは、聞き流すようにすることだ。

 

自覚するためのワンポイント

こういう人は、同じ価値観の人だけ集まって、阿畔の呼吸で行動していればいい状況であれば、居心地がいい。

「・・・と思う」だけで話が通じるからだ。

だが、仕事をしていれば、そんな居心地のいい場所だけにいるわけにはいかない。

ワンマン会社の社長でない限り、たとえどんなに年の離れた若い部下だろうと、きちんとした根拠も理由もなく、相手を説得することはできないのだ。

まず、人それぞれ価値観が違うし、考え方も違うのだということを肝に銘じてほしい。

社内にいれば、部下は上下関係であなたの押しつけを黙って聞いているかもしれない。

だが、一歩上下関係のない世界に出れば、誰もあなたの押しつけなどには従わないことがわかるはずだ。

だから、とにかく表に出ていくことだ。

 

そういう外の世界でもまれて、「・・・と思う」で終わらせないで、「と思う。 なぜかと言うと」というように、そのあとに必ずそう思った根拠を言うように癖をつけておく必要がある。

そうしておけば、いやおうなく、根拠を言うようになる。

だが、もちろん、それだけでは不足だ。ふだんから、すべての行動や現象には背景や根拠があるということを頭に入れておく必要がある。

そして、他人の行動についても、「なぜそうするのか」といったことを考える癖をつけておく。

自分の行動についても分析的に捉える努力をすることで、しっかりとした根拠を言えるようになる。