やれることからやってみる

自分を変えるためには行動を変えなければならない。

そしてそれは変えられる行動から変えればいいのである。

はじめられる行動をはじめればいいのである。

駅からバスに乗らずに歩いてみるということを述べたが、歩くことなどは誰でもできることであろう。

休日などに何か気が沈んできたら、とにかく外に出て歩くことである。

 

ところが、気が沈みはじめると、何か歩いたって仕方ない、そんな気持ちになるものである。

近くの公園まで歩くのも気がすすまなくなってくる。

何をするのも億劫なのである。

そんな時、歩くということをここから公園まで、などと考えなくてもいいのである。

とにかく玄関に行ってゲタをはいてみようとするだけでいい。

ゲタをはけば、またそこでちょっと外まで出てみる気にもなる。

歩いて帰ってくれば体も快調になってくる。

食欲も出るし、夜も眠れるかもしれない。

それが次第にジョッギングをやるところまでくればしめたものである。

心の不調な時、気が重い時、不快な時、沈みがちな時、体を動かすことを忘れてはいけない。

運動すると疲れるのではなく、運動はなんとはなしの疲労感をとってくれるものである。

疲労と疲労感とはことなる。

それは劣等であることと劣等感とはことなるのと同じであろう。

 

疲労感をとるためには運動が何よりよい。

あるいは何か行動の仕方を変えることである。

誰かが右手が疲れた時は左手を使えばなおるといっていた。

いわんや疲労感を持った時は体を動かすことと、行動を変えることが大切である。

疲労感から活動量や活動範囲を狭くすれば、 余計何か生きていることがやりきれなく虚しくなる。

疲労したのではなく疲労感を持った時は、やりかけていることを止めてしまわないことが大切である。

行動によって、自己のたえまない更新を心がけなければならない。