本当のやる気につながるのは、アメでもムチでもない
「あなたって、いつもそうなんだから」
と、あからさまに友人や知人を叱りつける人がいる。
叱られた相手は、黙ってそれを受けとめているが、それは心から従っているというわけではない。
心の中には不満がたまっているはずだ。
人間関係が破綻する原因に、相手を叱責するときのやり方のまずさというものがあるようだ。
叱責するほうはもちろん、自分の思うとおりに相手に動いてほしいとか、ここで言っておくことが、相手のためになると思ってやっている。
しかし、叱責されたほうとしては、しばしば「そこまで言うことはないじゃないか」という不満がつのり、ふてくされる。
そうした心のすれちがいが別れの原因をつくることも多いものである。
相手に悪い点を見つけたときは、叱ることで、相手がやる気を起こして、こちらの考えに従ってくれると思っている人は結構いるようだ。
ここでガツンとやっておかなければ、二人の今後のためにならないという思いがあるのだろう。
しかし、叩けば言うとおりに動くというスパルタ式のやり方は、結局はうまくいかない。
いやいやながら従ってやったことは、あまりいい結果を生まないのだ。
それよりも、相手が自分で気づいて欠点を直すように仕向けるほうがいい。
よく、人にこうなってほしいと叱咤激励(しったげきれい)するときの方法として、アメをちらつかせながらムチを打つという方法をとることがある。
たとえば、親が子どもに対する場合、「今度、通知表が上がったらディズニーランドに連れて行ってあげるわね。でも、下がったらお小遣いなしよ」と褒美と罰をちらつかせて頑張らせようとする。
成功すればおいしいものが待っているが、失敗すれば厳しい罰が待っていることを予測させるというアメとムチの方法だ。
しかし、この方法は意外に思惑通りにはいかない。
ことに、それがネガティブな事柄の場合は逆効果になりやすい。
たとえば、人間関係であれ、仕事であれ「あなたがこんなことばかりやっているようじゃ、私たちの仲も解消だね」といった言い方は、かえってやる気を失わせる。
というのは、反省して改めようと努力するよりも先に、ミスを見つけられて叱られることがないようにするためにはどうすればいいか、という後ろ向きの方向に考えてしまうことが多いからだ。
もちろん、叱ったり罰したりすることで、一時的には過ちの数が軽減することもあるだろう。
だが、それは多くの場合、「ミスをすれば罰を受ける」という教訓が頭に植えつけられたために用心深く行動するようになった結果にすぎない。
失敗すると罰だけが予想されるような状況に置かれたときは、前向きの気持ちになることが少ないのだ。
では、どうすればいいかといえば、達成したときの喜びを与え続けるほうが効果がある。
まず、実現できるような小さな目標を与え、それを達成したときに即座にほめる。
そうした喜びを積み重ねていく。
つまり、叱ったり罰したり褒美を与えたりするのではなく、単に、こまめにほめればいい。
そして最後に、「おめでとう」の一言を忘れない。
この一言で、また次の目標に向かって頑張ろうという意欲が生まれるのだ。