ノイローゼは情緒の未成熟から起こる

ある不眠症の人が次のように語っている。

大学のころ、不眠症にかかり一向に眠れなかった。

ついに病院に入院したがそれでも治らない。

どんなに高価な睡眠薬を飲んでも駄目だったという。

あきらめてそのまま会社に就職した。

もちろんそれでも治らない。

医学的に見てもらっても治らないという事実は、その人にはショックだった。

もう、どうせ駄目なんだからと睡眠薬は飲まなくなってしまったという。

そしてこれではどうしようもない、一生不眠症でいくより仕方ない、とあきらめた時から眠れるようになったという。

 

ところで、この人について少し考えてみよう。

おそらく不眠症といわれる人の治り方としては一般的なことだと思う。

不眠症に苦しんでいる人は、自分の苦しみを絶対のもののように思っている。

だいたいにおいて情緒的未成熟な人間は、自分の直面している困難を絶対的なものとして体験する。

つまりこの場合でいえば、不眠症である限り生きていけないように思っているのである。

 

ある良家のお嬢さんがわがままほうだいに暮していた。

そしてある時、突然両親を失ったために働きに出なければならなくなり、就職したが毎日泣いてばかりいた。

働いても食べることさえ満足にできず、毎日自殺を考えはじめるまでになってしまった。

ところが、ある日、何も食事を三度しなくたって人間は生きていけるのだ、一度だって生きていけるのだ、とひらきなおりの気持ちが出てきてから元気になったという。

 

自殺を考えたり、メソメソしている人は、自分がさらされている困難を絶対的なものと思う。

それはノイローゼになる人をみればはっきりする。

失恋でノイローゼになる人は、失恋がこの世で最も苦しいものと思っているし、両親がいないでノイローゼになる人間は両親そろってなければ生きていけないと思うし、大学受験に失敗して自殺する人間は、目的の大学に入らなければ生きていけないと思う。

自分がさらされている困難を絶対視してしまう人は、どうしても、ノイローゼになったり、自殺を考える。