愛情は行動なくしては生まれない

できの悪い子ほど可愛い、という格言がある。

これはどういうことだろうか。

それはつまり、できの悪い子ほど世話がやける、できの悪い子には苦労させられる。

しかし実は、このように世話をやくことによって愛情が生まれてくるし、可愛さも増してくるのである。

その子のために働けば働くほど、その子が可愛くなる。

だからこそ、できの悪い子ほど可愛いという話になるのだ。

その子のために世話をやくことが、その子への愛情を生み出し、育てる。

その子のための行動が、その子への愛の感情をつくっていく。

 

男女関係だって同じことである。

ある男性を愛してしまった女性にしてみれば、もはや客観的になることは無理なのである。

その男性が他の人からみてたいした男ではなくても、その男性に献身的に尽くしている女性にしてみれば、かけがえのない存在なのである。

その男性が客観的にみて素晴らしいのではなく、献身的に尽くすことによって、その女性にかけがえのないものになったのである。

献身的な行為そのものが、その女性のなかに愛をはぐくんできたのである。

 

人間は他人に何かしてあげることによって、その人に好意や愛情を抱くようになる。

そう考えれば、親は一方的に子供に何かをしてやる存在であってはならない、ということになる。

一方的に何かをしてあげることだけでは、相手からの愛情を期待することはできない。

過保護の決定的な誤りはここにある。

子供も家のなかのひとつの役割をになうことで、親への愛情を持つようになるのである。

お使いでも、家の修理でも、家計を支えることでも、何かの役割を果たすことが、親への愛情を生み出す。

自分の誕生日に親から祝ってもらうだけでは、親への愛情は生まれない。

自分が親に何かしてあげることで、はじめて親と子の相互交流ができる。

親が子に一方的に何かしてくれるものと思っている人がいたら、徹底的に反省すべきである。

 

念のためいっておくと、この「親」に「友人」「恋人」「先生」「上司」「先輩」「同僚」と入れ替えても同じである。

そして「子」は「あなた自身」のことであり、「われわれ」のことでもある。