人に合わせてばかりの人は、存在感における印象に残らないものです。

 

次のような行動を走る男についても、同じことが言える。

●どんな頼み事でも、嫌な顔ひとつせずに聞き入れてくれる男。

●どこにでもつれていってくれる男。

●お金のかかることはすべて面倒を見てくれる、気前のいい男。

●自動車で送り迎えをしてくれる、運転手のような男。

●ここまでしてくれるの・・・というほど、やさしい男。

 

女性にとっては、このような男は真剣に恋愛したり、真剣に結婚を考えたりする対象になりうるのだろうか。

きっと、そんなことはない。

はっきりいって女性にとっては、どうでもいいような存在なのではないか。

だいたい女性から「かわいい」などといわれて有頂天になってしまうような男には、「それでも、おまえは男か」と言いたい。

 

会社には、こんな「かわいい男」もいる。

●なんの文句もいわず、不平がましいこともいわず、従順に従う部下。

●上司を立て、でしゃばったことはせず、気がきき、汚れ役もできる部下。

そういう部下は、たしかに上司にとっては「かわいい男」なのだろう。

 

けれども役員会議か何かで「○○君、今度君の部下の中から新規プロジェクトのスタッフに抜擢する人間をひとり選びたいのだが、だれが適任だと思うかね。

ガッッのある人間を推薦してくれたまえ」という話になったとき、はたして上司はこの「かわいい男」の名前を挙げるだろうか。

おそらく、そうはならない。

上司は、「かわいい男」の存在など忘れているに違いない。

★かわいいけれど、どうでもいい存在。

★かわいいが、忘れられてしまう存在。

責任を与えられない存在。

「まあ、君は、そのあたりでウロチョロしていればい いよ。邪魔にならないようにしてね」と思われる存在。

これが、人に「合わせてばかりいる人」への評価だ。

たんなるイエスマンになるべからず。

かわいいだけのお人形になってはいけない。

もっと「我」の出た振る舞いをして、その結果、行き違いが生まれ、少々のトラブルが起こってもよい。

そのほうが相手の心に根を張ることができる。