多数の友を持つ者は、一人の友も持たない

新聞の投稿欄に、「ママ友づきあいが苦痛」という相談があった。

子ども同士が仲良くしている、または同じ学校に通っているときには、その母親同士も友人のように親しく振る舞わなければいけない。

これが「ママ友」だ。

30代後半のその母親は、子どもが少年野球チームに入っているため、練習だ、試合だと子どもの送り迎えに奔走(ほんそう)している。

それだけでも大変なのに、ママ友同士の月に一回の親睦会兼お食事会がある。

正直、負担が大きい。

お食事会では、ほかのママたちについての噂話も出る。

他愛ない話ですんでいればいいが、たいていはいろいろ尾ひれがついていく。

果ては、「誰が誰の悪口をいっていた」ということになりがちだ。

適当な理由をつけてパスしたいところだが、みんなに合わせなければ子どもがいじめられてしまうかもしれないから、そのママ友の輪から抜け出すこともできない。

夫に相談しても、「つまらないことを、いちいち気にするな」とあしらわれる。

いったい、どうすればいいのか というわけだ。

 

投稿の回答欄には、「誤解のないように、よく話し合ってごらんなさい」とか「あなたが思っているほど悪いことは起きていないはずです」など、当たり障りのないことが書かれていた。

これでは、相談した本人は納得できないだろう

同じ学校や幼稚園に通う子どもたち同士は友だちかもしれない。

だが、その母親たちは、別に友だちでも何でもない。

「子どもの親」として同じ目的を持って集まっているにすぎない。

そのように割り切ることだ。

 

一方で、こんな「おばさん友だち」もいる。

ヨーロッパのツアーで一緒になり、一週間の旅程をともにするうちに仲良くなった。

旅の終わりにはメルアドを交換し、日本に帰ってからも連絡を取り合って、食事をするなどマメに会っている。

だが、盛り上がったのは最初の一、二回だけで、だんだんと会合への参加率も悪くなり、持ち回りの幹事の押しつけ合いになった。

私の近所にあるポルトガル料理店では、ツアーで一緒になったと思しきおばさんグループをよく見かける。

スペインから、ついでに寄ったリスボンあたりで一回食事したくらいのツアー仲間なのだろう。

こんな食事会も、最初の一回くらいでいい。

あまり深追いしないのが「楽しく終わる」コツだ。

もっとも、ツアー仲間なら一週間から、長くても一カ月がせいぜいだろう。

 

だがママ友となると、一緒に過ごしている時間が長いので、余計に「友」だと思ってしまう。

ママたちも、ツアーで一緒になったおばさんたちも、一時的に同じ目的があって偶然その場に集まったのだ。

目的がなくなれば、接点のない他人同士なのだから、いつまでも近距離にいること自体、無理が出てくる。

そこをわからずに、「同じ場にいるから友人」とか「友人なのだから同じ場にいなくては」という勘違いをしているほうがおかしい。

グループのメンバーが5、6人もいれば、一人くらいは気の合う友人ができるかもしれない。

だからといって、全員と仲良くなれることなどまずない。

さらに仲良くし続ける必要もない。

最近は、やたらと「友」を求めたがる風潮にある。

とくに学生時代には、何らかのグループに属したがるようだ。

しかし、ある時期、目的が同じ一つのグループに属していたというだけで、友だちになれるとは思わないこと。

同級生全員が友だちだっかという人はいないだろう。

 

「多数の友を持つ者は、一人の友も持たない」とアリストテレスはいった。

ママ友やおばさん友だちに限らない。

大学の同級生も、会社の同僚もしかり。

もちろん、大人としてある程度のつきあいは必要だろう。

しかし、気持ちよく過ごしてその場がお開きになれば、それで十分ではないか。

ほかの人たちが、どこで誰と会っていようが関係ない。

自分の悪口をいっていようが気にすることはない。

無理して都合を合わせる必要もない。

なぜなら、友だちではないからである。

そのくらい割り切って考えていたほうが、かえってどんな相手とでもうまくいくはずだ。