本当の自分が育つ時

ヒステリー性格の人間は人一倍虚栄心が強く、自分を実際以上に見せようとするという。

確かにこの通りであるが、より正確にいえば本当の自分がまだ育っていないということでもある。

本当の自分がないからこそ、他人が自分をどう見るかが重要になってくる。

本当の自分が育ってくると、自分を実際以上に他人に見せようとするような努力というのがバカバカしくなる。

いままでは意味を持っていたそのような努力も、本当の自分が育ってくるとむなしいものに感じてくる。

 

幼児期はだれでも周囲の人の自分に対する反応によって自分をイメージする。

幼児期は周囲の人間の反応に示される姿を自分と考える。

幼児期の人間にとって周囲の人間は自分を映す鏡である。

それが他人依存ということである。

そして鏡に映る自分を立派なものにしようと振る舞う。

周囲の人間の自分に対する反応によってしか自分をイメージできない時期から、だんだんと、自分で自分を感じることのできる時期に移行する。

それが精神的成長であろう。

 

ヒステリー性格の人間はまだこの移行が完了していない。

彼は周囲の人間の自分に対する反応によってしか自分を感じることができない。

周囲の人間が『わあ、すごい』 といえば、ものすごく拡大した自分を感じ、軽蔑のまなざしで見られれば、今度は縮小した自分を感じる。

他人の反応があってはじめて、自分の行為は自分にとってプラスあるいはマイナスの意味を持ってくる。

他人の反応のまったくない行為というのはムダ骨としてヒステリー性格は感じる本当の自分といういい方は、抽象的すぎてよくわからないようであるが、具体的には対象への没入とでもいったらいいと思う。

友達と話をしている時、思わず面白くてその話にひき込まれ、時のたつのも忘れて話に熱中する、などという時の自分が、本当の自分である。

とにかく楽しくてそこにいる時と、何とか相手を驚かしてやろうと話に苦心してそこにいる時とでは全然ことなる。

 

周囲の反応の中に自分を確認しようとすれば、素晴らしいことをいって相手を驚かしてやろうとか、こんなことをいったら笑われやしないかとか、そういうことに気をとられてしまう。

時のたつのを忘れて話に熱中したり、スポーツをしたりする時、その人は本当の自分を育てているということができる。