好奇心、探究心を大切に

同好の士がいれば、さらに楽しく

50代から老後までの生き方を考えると、第三の課題「孤独」に対応するには、「仲間づくり」も確かに重要なポイントである。

それはけっして大勢の取り巻きに囲まれて始終にぎやかにしていることではないことである。

いくら周囲に人がいても、心が通い合わなければ、かえって孤独が身にしみるからである。

むしろ大切なことは、

●自己を確立すること

●他人に頼らなくても生きていける何かをもつこと

ではないだろうか。

それこそが「生きがい」であり、場合によってはそれが趣味やライフワークといわれることもある。

そういうライフワークなり、生きがいをもっている人は、とりたてて孤独を嘆くことはないだろう。

自然観察や造形の趣味をもつ人は、それに打ち込んでいるかぎり、さびしいとは感じないはずである。

バード・ウォッチング、植物採集、絵画、カメラ、彫刻、陶芸などの趣味をもつ人は、あまり大勢の友だちを必要としないはずである。

が、こういう趣味をもつ人は、同好の士ができやすく、その意味ではけっして孤独ではないだろう。

つまり、これらの趣味をもつ人は、友だちがいてもいなくても、けっこう楽しめるわけである。

「喜びを分かち合える話し相手がいれば、もっと楽しい」というだけのことなのだ。

 

もう一つ大事なことは、このような生きがいをもてる人は、旺盛な好奇心、探究心、柔軟な心の持ち主だということである。

また「感動の心」を忘れない人、いい換えれば「豊かな感情」の持ち主ということにもなるであろう。

この点でも、パソコンは仲よくなれる要素、感動を味わえる要素を備えている。

というのも、お互いに壁にぶつかったときに教えたり励ましたり、「できなかったことができるようになる」という喜び、共に問題を克服したという「達成感」「連帯感」なども味わえるからである。

もちろん、通常の電子メールの交信も非常に楽しみなものである。

 

以上のような心境になれるかどうかは、日頃の暮らしぶり、心の持ち方が大いに関係してくる。

たとえば美しい自然に接しても、「何だ、当たり前だ」ですましてしまう人は、感動の心を忘れた、気の毒な人なのである。

あまりにも知識を詰め込みすぎ、何でも理論で割り切ろうとする人、形式にこだわる人、官僚的な体質を身につけた人は、こういう気の毒な人になりやすい。

 

「自由な自分」を見直そう

これに対して、「これは何だろう」「これはすばらしい」「ここが、こう変化した」「この起源は何だろう」というように、好奇心、探究心の旺盛な人、無邪気に素直に感動できる人、感情の豊かな人は、この年代から

●何をしても楽しい

と感じるようになるのではないだろうか。

というのも、行きがかり、あるいはビジネスのしがらみで、自分の素直な気持ちを曲げてまで不本意なことをやらなくてもすむ年代になっているからである。

そのように、身の周りの環境が180度変化しているのに、それに気づかず、あいかわらず自分の気持ちに正直になれず、周囲の目を気にして生きている人は、けっして自己を確立することはできないだろうし、本当の生きがいを見つけることもできないだろう。

だから、早く自分の身の周りに起きている変化に気づいて、自分の気持ちにできるだけ正直に生きることを思い起こし、豊かな「感性」をよみがえらせることが肝要である。

 

若い頃からの趣味を続けている人は、ごく自然にこの境地に入れるにちがいない。

50代まで無趣味で仕事一筋に生きてきた人は、この意識の切り換えに苦労するかもしれない。

もちろん、先ほどご紹介したKさんのように仕事一途の道をうまく生かす方法もある。

が、そうではなくて

●五十の手習い

でけっこう楽しくやれることもある。