「近所づきあい」のコツは、深入りしないこと
これまで都心の賃貸マンションに住んでいた30代の夫婦が、念願叶って郊外に一戸建てを建てた。
引っ越しが一段落して、ご近所数軒に挨拶回りをした。
親切に対応してくれる家がほとんどだったが、インターフォンを押してもなかなか出てくれない人や、値踏みするようにジロジロ見る人などもいた。
「この人たちとうまくやれるだろうか」と、ちょっと心配になっている。
都心のマンションでは、近所づきあいが希薄だ。
隣の部屋にどんな人が住んでいるか知らないということもある。
冷淡ともいえるが、気楽でもある。
しかし、戸建てとなるとそうはいかない。
ゴミ捨て場の管理なども協力して行なわねばならず、近所づきあいは避けて通れない。
いわゆる向こう三軒両隣だ。
ご近所さんとは、当たり障りのない距離感で接するのがいちばんいい。
若い人たちには、「当たり障りのない」という言葉はわかりにくいかもしれない。
要するに、とくに刺激も迷惑も与えない、そして受けないということだ。
関係がギスギスするのはもってのほかだが、かといって深入りする必要もない。
それぞれの家は、外からではわからない事情を抱えているもの。
夫婦間や主人の仕事関係、子どもの受験など、その事情までのぞき見えるような距離には近づかないこと。
そんな関係を、どうやって築いたらいいのか。
簡単なことだ。
日常の挨拶をすればいいのだ。
そして、ほんのちょっとの会話を交わす。
具体的には、お天気の話がいい。
政治や宗教、スポーツなど、人によって考え方が異なる話題は避ける。
人の噂なども禁物だ。
それらはまさに、「当たり障りがある」話になってしまう。
「おはようございます。ずいぶん暖かくなってきましたね」
「ええ、桜ももうすぐですね」
「こんばんは。今日は一日よく降りましたね」
「ここのところ乾燥続きでしたから、雨も助かりますね」
これで、十分、合格ラインだ。
大を飼っていれば、散歩の途中でご近所さんに会うこともあるだろう。
お互いに飼っているなら「犬好き」というだけで好感度がアップする。
相手だけが飼っているなら「可愛いですね」の一言でご機嫌になってもらえる。
自分だけが飼っているなら「うちの犬がうるさかったら、いってくださいね」の一言が必要だ。
ご近所さんには、「あなたに対して敵意はなく友好的でいたいと思っています」という態度が示せれば、それでいい。
逆に、それすらもできないようでは問題である。
私の知人が住んでいる高級住宅街に、変わり者が引っ越してきた。
どうやら私立中学校の教師らしい。
生徒には礼儀を教えているはずなのに、本人はまったくそれができていないようで、近所の人が挨拶しても無視するのだという。
おそらく「近所には何も世話になっていないし、迷惑もかけていない」と思っているのだろう。
ふだん、家にいることが少ないビジネスマンにも、そのように考える人は多い。
しかし、ご近所には、見えないところでいろいろ助けてもらっているはずだ。
アレクサンドル・デュマの「三銃士」に、「個人は全体のために、全体は個人のために存在する」という一節がある。
いたずらに全体主義になって、個人の自由を奪うことには反対だが、周囲の「コミュニケーションをとろう」という気遣いにそっぽを向くような人間は愚かである。
いかにも、みみっちい余裕のなさを感じさせるではないか。
「渡る世間は鬼ばかり」という人気テレビドラマがあった。
これは「渡る世間に鬼はなし」という諺をもじったものだ。
間違えている人もいるようだが、正しくは後者である。
ご近所さんは、いざというときに助け合うことができる人たちなのだ。