人を育てるにはコツがある

人を育てるには、ほめることだといわれる。

しかし一方、叱ることも時に応じて必要だ。

たとえば部下が何度も同じようなミスを繰り返した、指示に従わない、などといった時は、バシッとした叱責叱責(しっせき:相手の非をとがめ、きびしく注意する)のひと言がなければならない。

だが、侮辱の言葉は絶対に控えよう

 

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間違った上司が部下に叱る言い方

「お前はほんとにドジだな。何度も同じミスするなんて、マヌケとしかいいようがない」では、叱られたほうは反省のしようもない。

ただただ、「あの課長のバカ野郎!」と思うだけだ。

相手の人間性を否定するような怒りをぶつければ、必ず遺恨が残るのである。

能力をあげつらうのも問題である。

「新入社員だってこんなミスはしないぞ」

「お前にいくら給料を払っていると思うんだ」

この類はいたく相手を傷つける。

ミスをしたくてする人間はいない。

「そこを能なし」と怒られたのでは立つ瀬がない。

「あ~あ、まったくいい部下を持ったもんだよ」など皮肉っぽい言い方も夕ブーだ。

怒りは抑え、端的にさとす姿勢を見せれば、お互い疲れないのである。

 

上司が部下に叱るテクニックについて

叱り叱られる関係は、一般会ではそうはない。親子関係、そして会社の上司と部

下の関係がほとんどだ。

だが、この両者においても、最近では、話のわかる親や上司だと思われたいために、

叱ることを放棄する傾向が強まりつつあるようだ。

 

叱り方は難しい。

無防備なひと言が、それまでの信頼関係を一瞬にして壊してしまうこともあるからだ。

 

そこで叱り方のテクニックを伝授しよう。

①プライドを傷つけない。

②ネチネチ引きずらない。

③感情的にならない。

これが叱り方の三原則である。

 

人前で叱り飛ばせばプライドが傷つく。

ネチネチ叱れば、ただうんざりするだけだ。

 

理由のわからない感情的な怒りは、反感を招く。

だから、すべてこの反対を、叱り方の基本とすればいいのである。

中でも、もっとも大切なのが相手の立つ瀬を確保しておくことだ。

「君らしくもない」と、信頼のニュアンスをプラスしよう。

そして自分を叱る時にも「私らしくなかった」。

これが成長によく効くのだ。

ほめ言葉を絶対ケチらない

ほめられてうれしいと思わない人はない。

 

誰にも、自分の価値を認めてもらいたい欲求がある。

ほめられることは、すなわち自分が他者に認められた証なのだ。

認められれば、やる気もみなぎってくる。

「いい企画じゃないか」とほめられれば、仕事に取り組む姿勢も変わってこよう。

「きれいになったね」と言われ続けてこそ、本当に魅力的になっていくというものだ。

ほめることの効用は相手をいい気分にさせ、意欲を奮い立たせて、力を引き出すことにある。

シドニーオリンピックの女子マラソン金メダリストの高橋尚子選手は、故名監督:小出義雄監督から、それこそシャワーのごとく「いいねえ、Qちゃん」の言葉を浴びせられたという。

もちろん高橋選手の資質あってこそではあるが、「監督にほめられてここまでやってこれた」と彼女は語っている。

ほめられるという行為は、相手に伸びる力を与えるのだ。

つきっきりで相手に精力を注ぐ人、ほめて相手の力を引き出す人。

どちらがラクかは言うまでもない。

 

おせじはさじ加減を見極めて

ほめ言葉は信頼関係をつくるが、これが、おせじ、おべっかになると、あまり好意を持って受け取られない。

背後に「気に入られたい」など、何らかの作為を感じさ せるからだ。

では、「ほめる」と「へつらう」はどう違うのだろうか。

最大の違いは、何を賛美するかだ。

個人的な部分についての賛辞は、ふつうはほめ言言葉と受け取られるが、肩書きや社会的なステイタスをほめちぎるのはおせじである。

「○社の部長と言えば、もう業界の名士でいらっしゃる」などと言うのは、見え透いているではないか。

下手なおべっかの典型である。

人を動かそうと思うなら、ファッションや趣味、家族のことなどを標的にすべきだ。

「部長のアイアンはプロ並みですね」。

ゴルフが趣味の人なら、こんな言葉は大歓迎のはずだ。

ただし、さじかげんは厳守しよう。

相手が気をよくしたからとい って、調子に乗ってはいけない。

「ドライバーの距離もプロ顔負け、パッティングラインの読みはタイガー・ウッズ!」。

これでは興ざめである。

おせじは一点に集中してこそ光るのだ。