違う世代を受け入れる「心の若さ」をもとう
誰でもそうかもしれないが、年齢を重ねるとグチが多くなる。
テレビを見ているときでも、「最近の若い者は・・・」といった批判がましい一言をつぶやいてしまったりする。
これは会社内でもあることだ。
上司が部下の言動を耳にして、「最近の若手社員はなってない。ワシらの若いときは・・・」などとつぶやくこともよくある。
こうしたときの発言は、その人の世代観を語っているように思えるが、実際はその世代全体について批判しているのではないことが多い。
特定の相手が属している世代に対して快く思っていないということを主張しようとしているのだろう。
もっと言うなら、世代という大まかな言葉を楯にとって、特定の相手を攻撃したり、批判的な目で見ていることを対外的に知らせたいという意図があるように思える。
老人がこうしたグチを言いたくなるのは、自分が若いころには立派な生き方をしてきたと思い込んでいるからでもある。
だが、実際は、その老人も若いころには立派な部分ばかりだったわけではないから、自分の都合の悪い部分は切り捨てて、いい部分だけをクローズアップして考えようとしているのだ。
また、本当はちがう世代に対する批判は感情的な部分での反発が多いのだが、それを思想や哲学的な背景から考えたことのように装うことで、自分の発言に重みを出そうとしているのである。
こうした発言をくり返すようになると、グチを言われた若い世代から煙たく思われるようになり、ますますその人は孤独に追いやられてしまう。
本当は心の若さというものは、世代を超えて存在する。
肉体的な若さが、そのまま心の若さにはつながらない。
若くても年をとっていても、人と人とのつきあいということを基本において会話をすれば、どの世代とも友好的な関係をむすべるのではないだろうか。
結局、心の若さとは、許容することができる心ではないかと思う。
変化を受け止め、それを受容する。
つまりは、他人にウマがあわせられる心の柔軟性があるかどうかということだと思うのである。
だから、永六輔さんが集めた言葉に、「年寄り笑うな行く道だもの、子ども叱るな来た道だもの」というのがある。
これを心がけるだけでも、人間関係はぐっとうまくいく。