弱みは、素直に見せたほうが好かれる
「もう少し親しくしたい」など、相手との距離を縮めたいとき、一方的に近づけば、かえって逃げられる。
もちろん、こちらから好意を伝えることは必要だが、相手にも好意を持ってもらわなければどうしようもない。
人に好かれようと思ったとき、私たちはつい格好をつけてしまう。
つまり、「いいカッコしい」になりやすい。
自分の優れた面だけを見せようとする。
だが、それが間違いのもと。
こちらが完壁を装うほど、相手は疲れてしまう。
ユダヤの格言に「人間の長所は欠点があることだ」というのがある。
ふつう、人は自分の欠点についてコンプレックスを抱き、それを隠そうとする。
しかし、完壁な人間などいないのだから、欠点もオープンにしたほうがいい。
「私ができることが、できない人もいるんだ」と相手が気づくと、人は安心する。
だから、自分の欠点を見せることは、相手を安心させる。
「人間というものは、ちょっとスキがあったほうが人に好かれるものだ。一点の非もない人間よりも、どこかスキのある人のほうが人に好かれる」
いま男女が知り合う場は合コンもあるだろうが、昔はお見合いが多かった。
相手に渡すお見合い写真は、晴れ着を着たり、どうしたって実際よりも見栄えのいいものを選ぶ。
まずは写真を見て、「会ってみようかな」と判断するのだから当然のこと。
ここまでは虚勢を張ってもいい。
だが、実際にお見合い会場に行けば、もう虚勢は通じない。
ここからは素の勝負となる。
このとき、見合い写真と同じように「最高の自分を演出しなくちゃ」と考えたら失敗する。
お互いにカッコいいところから見せようとするので、いつまでたっても近づくことができずに見合いは終わる。
素で勝負となったら、自分の弱みを正直に見せることだ。
知らないことは知らない、できないことはできないといったほうが、相手は親近感を抱いてくれるだろう。
たとえば趣味について尋ねると、相手がオペラについて話し始めた。
残念ながら自分にはオペラの素養はない。
こんなとき、詳しくないのにわかったフリをしても必ずバレる。
それよりも「オペラのことはわからないので教えてほしい」といえば、相手は気分よくいろいろ話してくれるだろう。
もし、相手が「オペラのオの字も知らないの?」とバカにしたような態度をとるのであれば、そんな人間と距離を縮める必要はない。
バカにするのは虚勢を張っているからで、その人こそ無知なのだ。
ただし、無知と無能は違う。
無能をさらけ出されたのでは困るのだ。
「僕は働くのが嫌いだし、いつも会社に行くのが憂鬱で仕方がない」
「私って、食事のマナーとか全然できてないからフランス料理とかパス」
こんなことをいわれたら、誰だって好きになれない。
ビジネスの場でも同様だ。
できないことをできる、と虚勢を張られては困るが、「自分は無能なんで」と開き直られたらもっと困る。
「営業は得意ではありませんが、いろいろ勉強させてください」
「上手なキャッチコピーがどうもうまくつくれません。何かコツはあるでしょうか?」
「英語の解釈が間違っているかもしれません。気づいたらご指摘ください」
自分の弱みを素直に告げて教えを請えば、たいていの人は快く応じてくれる。
相手を不安にさせるのではなく、安心させる弱みの見せ方が求められている。
これはもう、失敗もしながら、場数を踏んでいくしかない