他人にやたらつっかかる人の情けないホンネ
人の意見に耳を傾けない人がいる。
あるいは、黙殺(もくさつ:あるものを無いもののように扱うこと)したり、意固地になって反発する人もいる。
こういう人に理由を聞くと、初めはもっともらしい理由を述べる。
しかし、最後になって、「だって、あいつのアイデアだから。おれはおれのアイデアでやりたいんだ」などと、本音の理由がわかってくる。
つまらない理由で周りの人の好意を無にしているものだ。
そんなふうに考えていたら、自分の成長を妨げるばかりか、自分を孤立させることになり、孤立すればするほど意固地な性格に凝り固まっていく という悪循環にはまる。
なぜ人の意見を素直に受け取れないのか。
簡単にいってしまえば、「人の意見を受け入れたら、自分が自分ではなくなってしまう恐怖心があるから」である。
そんな未熟な心しか持っていないから、人の助言を拒否するというわけだ。
反対に、いろいろな人の意見に耳を傾ける人は、確立された「自分」というものを持っている。
誰に何をいわれようと譲れないものは譲れない反面、自分の知らないことや不得意なことには、じっくりと耳を傾けることができる。
その意見が自分に適(かな)っているのかどうか、役立つのかどうか、自分なりの判断基準ができあがっているからだ。
人に何かをいわれると、すぐにけんか腰になって周囲を不快にさせる人がいる。
一方では、穏やかな表情で、冷静に説明できる人がいる。
会議などの議論の場では対照的な図式となるので、両者の違いは、周りの人には強い印象となって残る。
自信があれば、相手がどのような発言をしても動じることがない。
たとえ主張が通らなくても、その意見が認められなかっただけ、、、と思える。
次回のチャンスを待つだけの心の余裕もある。
ところが「自分というもの」がない人は、自分そのものを否定されたと思ってしまう。
興奮したり、逆上したり、、、と忙しい。
言葉づかいも荒くなる。
あまりに「幼い心」に見えないだろうか。