何をするにも、常に「相手の感情」を計算に入れよ
世の中には、感情に重きを置くタイプと、論理に重きを置くタイプがいる。
個人差はあるが、一般に男性は理屈やタテマエを重んじるようだ。
男性社会では「感情的になる」のはよくないこととされる。
しかし、歴史を振り返ってみても、正論だけで世の中が動いたということがあるだろうか。
どんな戦争も、背後では感情が動いているのはたしかである。
人間は感情で動く動物である。
あなたは、自分以外の誰かが、感情をまったく抜きにして、論理だけで動いているのを見たことがあるだろうか。
おそらく、その人がどんなに正論を主張していても、その裏にはその人の感情が見え隠れしているはずである。
それならば、人の感情の動きを読み、人の気持ちをつかめる人間が一番上手に世間をわたっていけると思われる。
正論抜きで、人の気持ちだけ動かすのが得意になってしまったら詐欺師のようなものだが、感情を無視して、正論がまかり通らないことを嘆いているのも大人げない。
それでは、なかなか人の感情が読めないのはどんな人か。
それは、「自分は大義名分、正論で動いている」と思っている人だ。
人間が、どんなとき、どんな心の動きをするものなのか、一番細かく観察できるのは自分の心である。
けれども、「自分は感情的な人間ではない」と信じている人は、その人間観察ができない。
感情をよく観察するということは、結局、理性(道理によって物事を判断する心の働き。論理的、概念的に思考する能力。 善悪・真偽などを正当に判断し、道徳や義務の意識を自分に与える能力。)を身につけることでもある。
感情コントロールの方法を身につけることだ。
しかし、「自分は理性的な人間で、感情コントロールなどできているさ」と自分を誤解していたのでは、上手な人間観察はできない。
さて、あなたは、どんな人間に好感を持ち、どんな人間を「イヤなやつ」と思うのか。
「自分はそんな感情的なことで人を評価するような人間ではない」といっているようでは、まだまだ甘い。
鋭い人間観察はできないであろう。