周囲を気にしすぎも、しなさすぎも考えもの
「世の中の人は、何とも言わば言え。わが成すことは我のみぞ知る」
坂本龍馬の言葉である。
私たちは、なかなかここまで思い切れない。
自分がやっていることについて、とかく人がどう思うかあれこれ想像し、自分で必要のない悩みをつくり出したりもしている。
「何をやるにも周囲の目を気にしてしまう」と悩んでいる20代前半の女性がいる。
とくに高給取りでもないその女性は、ブティックで買い物をしていても、本当は欲しいセール商品が買えないのだという。
顔なじみの店員がいると、どう思われるかが気になって、つい見栄を張って買ってしまうのだ。
ブティックでさえそうなのだから、会社では大変だ。
「先輩から生意気だと思われているのではないか」
「上司から無能だと思われているのではないか」
そんなことばかり気にしているから、本来はさっさと取り組むべき仕事もスムーズに進まない。
本人の思惑とは逆に、周りの目を気にしすぎる人は、かえって周囲に迷惑をかけているのだ。
男性にも、こうしたケースが増えている。
先方の会社に行っても、取引先の人が自分を見ていると思うだけで、まともにプレゼンができない。
得意なはずの英語を、同僚がそばで耳を立てて聞いていると話せなくなってしまう。
字が下手なので、上司へのメモは何度書き直しても不安でならない。
なぜ、こんなことを気に病んでしまうのか。
たぶん、距離感が間違っているのだ。
本来、仕事の人間関係はそれほど近い距離にはない。
周りの目を気にしすぎる人は、すべてを近距離に見すぎている。
そして、相手もこちらを近距離で見ていると思い込んでいる。
しかし実際には、こちらが見ているほど相手は見ていない。
だから、気にすることなどないのだ。
あまり近距離で見ていると目が疲れるだけだ。
もちろん、遠い関係であっても、ある程度は気にしてもらわなければ困るときもある。
私が事務所に行くときにふだんから利用している私鉄で、よく見かける二人の乗客がいる。
一人は30代前半の若い女性で、座席に座ると必ず化粧を始める。
「きた、きたまたやるぞ」と思っていると、その通りになる。
私は女性の化粧道具について詳しくないが、その人の作業の手順は覚えてしまった。
まあ、次から次へといろいろな化粧道具があるものだ、と思うくらい手順がいい。
毎朝のことだから当然だろう。
もう一人は40代くらいの女性だ。
こちらは座席に座ったとたん、サンドイッチを取り出して黙々と食べる。
そして、ジュースか缶コーヒーを飲む。
その人が電車に乗ってくるときは、お約束のようにサンドイッチが入った袋を下げている。
決まった店で買ってくるのだろう。
どちらも、ひどくみっともない。
しかも、当然のように優先席に座ってである。
真正面から見せられる私たちの身にもなってほしい。
彼女たちのような行動は、アカの他人の私が見てもうんざりする。
もし、知人に見られたらどうするのか。
しかし、本人たちの頭の中にはそんな想像はない。
電車に乗り合わせているほかの客など、最初から存在しないのだろう。
自分の部屋の中と同じと思っている。
彼女たちを見ていると、なぜ一時間早く起きないのかと不思議で仕方がない。
私の知人の30代独身女性は、朝六時に起きて、近くに犬を散歩に連れて行き、帰ってからシャワーを浴び、朝食をきちんととって、化粧をしてから家を七時半に出るという。
ルーティンワークにしてしまうと、このくらいのことはどんな勤めの女性にもできるのではないかと思うのは私だけだろうか。
他人の目を考えたとき、どうもいまは人との距離感がおかしくなっている。
人間社会は、いくつかの距離感で成り立っている。
自分を円の中心と考えたとき、非常に近しい家族や恋人、気の置けない友人、仕事仲間、ご近所さん、といったように、だんだんと距離が離れていく同心円をいくつも持っているのが本来の姿だ。
ところが、全部を一緒にして、やたらと近くに見据えたり、逆に遠くに置きすぎたりする人が増えている。
一度、自分を取り囲む人間関係について見直し、正しい同心円に置く練習をしてみる必要があるのではないか。