自分で自分を決め込むな
神経質な人は、どうしても「決め込んでしまいがち」である。
何かにつけて決め込んでしまう。
たとえば、自分は人前で話すと「あがってしまう」と決め込んでいる。
今まではあがったかもしれないが、今度あがるとは限らない。
それなのに「あがる」と決め込んでしまう。
しかもたった一度あがっただけで、自分は人前に出ると「あがる」と決め込んでいる人がいる。
神経質な人にとっては、はじめのたった一回の失敗が大変大きな意味を持ってしまう。
そして「俺はダメだ」と決め込んでいる。
またある人は、「私はどうしてもあの人が苦手なのよ」といっている。
自分で勝手に自分を決めつけてしまう。
自分はあの人は苦手だ、と。
決してその人が他の人と違うわけではないのに、自分が一人で、他の人ならいいが、私はどうしても「あの人」にはものを頼めないと決め込んでいる。
決して無能ではないのに、ある点について一人で勝手に、「私はダメだ」と決め込んでしまう。
「私は枕が違うと眠れないのよ」という人もいる。
ある時、たまたま枕が違って眠れないとそのことにこだわって、自分は枕が違うと眠れない、と決め込んでいる。
次の機会には、もしかしたらグッスリと眠れるかもしれないのに、「今日は枕が違うから眠れない」と一人で決め込んでいる。
そして眠れないと予想し、不安になることで自分を眠れない人間に自分でしたてあげてしまう。
他の人から見れば、「どうしてそんなにすぐに何でも決め込むの?」と不思議なのだが、本人にはそうとしか思いようがないのである。
性的不能などもその典型である。
性的能力がないのではなく、自分が一人で、やっぱり自分はダメではないかと不安になり、その結果不能になる。
自分は十二時をすぎると床に入っても眠れない、という人もいる。
これも前の例と同じように、ある時、十二時すぎに床に入ったら眠れなかった。
すると、その一度の失敗で「自分は十二時すぎに床に入ると眠れない」と決め込んでしまう。
自分が一人で決め込んでしまうから眠れないので、何も考えなければ眠れるはずなのである。
「ああ今日は十二ニ時すぎてしまった、眠れないなあ」と思って床に入る。
そして全神経をはりつめて、眠れるかな、眠れないかなと自分の体を観察している。
十分たち二十分すぎる。
すると「やっぱり眠れない」と思い込む。
常に神経が過敏であるから、眠れないようなちょっとした徴候をとり出して、それを過大に解釈する。
そして「やっぱり」とくる。
苦しくなって寝返りを打つと、「ああ寝返りを打つようになったら眠れないや」と決め込む。
すべてのことを予想しようとする。
順序を決め込んでいる。
床に入る、寝返りを左に打つ、今度は右にくるだろう、そうしたら眠れない、と思う。
すべてのことが前回と同じように起きると決め込んでいるのである。
一度左に寝返りを打ったことに「とらわれる」。
そんなことは何でもないことなのだが、ちょっとしたそのことに「とらわれる」。
このように何でも決め込んでしまう人は、いつも不安な人であろう。
いつも何かを恐れて緊張し、体を固くし、用心している。
心はいつも防衛的になっている。
体を固くしてしまうということは、自分のやっていることに安らいでいないということである。
いつもそこから逃げ出そうとしている姿勢である。
そして人間は、体を固くすることで疲れる。