べったりの関係は長続きしない
学生時代には、トイレに行くのも一緒という仲のよい友達がいたものである。
しかし、端から見ても、そんなに仲のよい二人が、いつのまにか口もきかない仲になっていて驚くことがある。
間違ってはならないのは、仲のよい者同士は、いつも一緒の行動をしなければならないと考えることである。
一緒の行動をするのが友達であり、友達なら一緒に行動すべきだという考えを持っている人は案外多い。
そのために、相手が少しでも自分とちがった行動をしたり、あるいは自分の意図を裏切るような言動をしたときに、「あの人は心が離れてしまった」とか、「友達ではなくなった」と考えてしまう。
もっとひどい場合には、「私を裏要切った」などと憎んだりする。
しかし、逆に言えば、そうしたべったりの関係だったからこそ、相手はその関係に窒息して離れて行ったのではないか。
そうした常にベったりくっつきあった関係になることが、本当の友人関係とは言えないのである。
友人関係というのは、むしろ相手の自由を尊重するところから生まれるのではないかと思う。
いつもは、それぞれ自分の都合や状況に即して自由に行動しているが、ときどきは一緒に会って、一緒の行動することもある。
そうした関係が、賢くて長続きする友人関係であると思っている。
なぜ、そうして相手の自由を認めることが大切かといえば、そうしなくては、相手がいつかは見慣れた魅力のない人間になってしまうからだ。
同じだから友人になれるのではなく、ちがっているから友人になれるのである。
互いにちがっているから、相手から啓発を受け、自分が進歩することができる。
べったりくっつきあった関係では、そうした啓発を受けにくい。
熱烈に愛し合って結婚した夫婦にも、やがては倦怠期と呼ばれる時期がくる。
恋人時代には互いに知らない部分が数多く、それを知るだけで刺激になり、新鮮さを味わうことができた。
しかし、いつも一緒に生活し、同じものを食べ、同じ趣味を共有するようになると、だんだん異質なものからの刺激がなくなって、慣れ合いという状態が起きる。
友人関係にも、恋人関係にも、こうした倦怠期が存在するのである。
だが、こうした倦怠期は、二人で工夫すれば乗り越えられる。
それは、時折、二人の関係に新しい刺激をもたらすことによってだ。
たとえば、いつもとちがう行動をしてみたりするのもいい。
いつもはパスタばかり食べているが、ときにはラーメンに変えてみるとか、新しい試みをすべきだ。
常に相手から学んだり、刺激を受けるという関係になるためには、相手をいつも異質で秘密の存在にすることだろう。
そのためには、互いに相手をいつも拘束しないで、ある程度の自由を認めることが必要だと思う。
そうすることで、常に相手から何かを学びとれるという関係がつくられていくように思う。
結局、相手をこちらの都合で縛らないということ。
相手をこちらの思うような型にはめ込まないようにすること。
相手にこちらのペースを押しつけないこと。
そうしたことが、友人関係も、恋人関係も、夫婦関係も長続きさせ、いつまでもよい関係を保つための秘訣である。