人に厳しく言えない、嫌われたくない、意見を強く言えない、自分(善人者)が心地よいものかもしれない。

もちろん、誰も悪人になりたいとは思わない。

人間は欲望に駆られる。

誘惑にも負ける。

善良でない人間も、とことんひどい人間もいる。

だが、多くの人がそうではない。

血も涙もある。

他人に対して優しくしたい。

人間のほとんどは善良な人だ。

 

だが、社会生活を送る以上、そうそうやさしくはしていられない。

厳しくするべきときはしなくてはいけない。

泣き寝入りしてはならないことがある。

抗議しなければならないとき、怒らなければならないときがある。

 

何かをするということは、何かを犠牲にするということだ。

何かを決定すると、不利益をこうむる人がいる。

とりわけ、責任のある地位に就くと、どうしても敵をつくってしまう。

みんなにいい顔はできない。

ところが、この種の人は、そのようなとき、相手を傷つけるのがいやで、物事をはっきりと言えない。

たとえば、レストランに行って、料理の中からゴキブリが出てきても、厳しく怒れない。

自分が悪いような気がして、下手に出て、「あのう、すみませんが、取り換えていただけますでしょうか」などと、バカ丁富にお願いしてしまう。

 

取引先の人と話している。

相手が、高飛車に出てくると、この種の人は、すぐに弱気になる。

「これは、いくらなんでも、高すぎませんか」と言われると、相手に悪い気になって、半額にも、いや三分の一にも値下げしたくなる。

相手が、泣き落としに出てきても、この種の人は相手が悲しむようなことを言いたくないと思ってしまう。

「このままでは、うちの会社はつぶれてしまいますよ。どうか、少しでも安くしてもらえませんか」などと言われると、ついその気になってしまう。

自分のせいで人が苦しんでいると思うと耐え難くなってくるのだ。

そんなことなら、自分が苦しむほうがよいとさえ思う。

また、この種の人は、ついリップサービスしたくなる。

 

たとえば、取引先で絵を購入した話になっている。

特にその絵が気に入っているわけではない。

だが、話の雰囲気から、その絵のことを「素敵ですねえ」と言いたくなってくる。

それだけならよいのだが、「ほしいですねぇ」とまで言ってしまう。

それで終わればよいのだが、相手方に善意の人がいたりすると、「同じ画家の絵にもっと手ごろなものがありますよ。話をつけてあげましょうか」などと言い出す。

そのとき、きっぱりと断ればよいのだが、それができない。

そして、気のある風を見せてしまう。

時には、ずるずると、絵を買う羽目になったりする。

この種の人は安請け合いする傾向も強い。

 

善意の塊なので、友人が困っていると、黙ってはいられない。

友達のためにひと肌脱ごうと考える。

友達に対して冷たいこことを言えないのだ。

だが、引き受けたのはよいものの、どうしてもうまくゆかず、かえって友達に迷惑をかける事態にもしばしば陥る。

もちろん、この種の人は、根っから善良な人だ。

だが、それは、ある面で他人によい顔をしたいということでもある。

いい顔をしたお陰で、たとえば自分が借金して困った友人に金を貸して、奥さんや子供に苦労をかけたり、親に迷惑をかけたりすることになる。

いい顔をした始末を自分で負えるのならいいが、たいていはその始末を誰かに回すことになるのだ。

その意味では、実は、自分で責任を取らない(実際取れなくなってしまうのだが)、卑怯な面がある。

自分の行動が、結局人に犠牲を強いることを自覚していない。

 

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嫌われたくない自分(善人者)という相手に出くわした時の対策

この種の人は利用しやすい。

泣き落としに弱いので、何か不利益なことがあったら、泣き落としにかけることだ。

多少嘘をついても、誇張(こちょう)しても、相手を信頼していることをアピールして、しっかりと説明すれば、きっと、相談に乗ってくれて、いいように取り計らってくれる。

そういう意味では、社内などにこういう人がいると頼りになる。

もし、援助してくれないときには、「あなたがそんなに冷たい人とは知らなかった」と言えば、きっと顔色を変えて、頼みをきいてくれるだろう。

だが、身内にこの種の人がいると、大変だ。

人のために借金したり、人にいい顔を見せたいために大きなことを言ったツケをすべて身内に回すからだ。

身内の場合には、「もう、お前がいい顔をする尻拭いはできない」とはっきり言って、突き放すしかない。

 

嫌われたくない自分(善人者)について自覚するポイント

自分は本当にはやさしいわけではない、他人の心を傷つけることを恐れているだけで、人にいい顔をしていたいだけなのだと自覚することが必要だ。

そして、自分の気持ちに正直に振る舞うように心がけることだ。

そうすれば、誰彼かまわず、人にいい顔をしたくなるのをとどまることができるはずだ。

知的に生きるからには、きっぱりとした態度が必要だ。

周囲みんなにいい顔をしていられない。

場合によっては、友達にも厳しい態度を示す必要がある。

そうしてこそ、 信頼を得られる。