「自分にないもの」を求めない

「ドキュンネーム」や「キラキラネーム」といった言葉を耳にしたことはないだろうか。

これはアニメやゲームのキャラクターの名前をそのままあてはめたり、常識的には考えられないような当て字を使ったり、標準的な漢字の読みとはまったく違う読み方をきせるような名前のことである。

1990年代、子どもに「悪魔」という名前を付けて役所に届を出したところ、いったんは受理されたものの、後に「子じもの名前としてふさわしくない」と、役所が改名を指導する騒動があった。

両親が反発してテレビのワイドショーをにぎわしたのを覚えている人も多いだろう。

あの騒動が、現在の突飛な名付けの走りだったのかもしれない。

こうした風変わりな名前を付けたがる親は、口をそろえて「他の子と同じ名前は嫌だ」と言う。

これは、「人と同じものは持ちたくない」という心理と似ている。

つまり、子どもを所有物として見ているのだ。

 

また、子どもに自分の夢を押しつける親も後を絶たない。

「これとこれを習っておけば、将来必ず役に立つ」と言って、子どもが友だちと遊ぶ時間もないほど習い事をさせてみたり、「いい学校に入らなければ、将来絶対に苦労するから」と、必要以上に教育に力を注いだりする親がそれだ。

イギリスの哲学者ラッセルは、子どもを親の私有物と思わず、独立した人間として尊重し、子どもに期待しすぎないことが大切だと説いた。

「家族の真の喜びは子どもたちに尊敬されると同時に、子どもをも尊敬し、必要なだけの訓練は施すけれども、けっして程度を超えないことを知っている両親たちにのみ与えられる」と。

いまの世の中、これをしておけば安心という確固たるものがないからこそ、親としてはいろいろと手を打っておきたい気持ちはわかる。

しかし、将来ばかりに目を向けて、いま現在の子どもの気持ちを無視するようでは本末転倒だ。

 

40代の親は、これまで信じて頑張ってきた終身雇用・年功序列制度が崩壊し、成果主義へと移行する過渡期に身を置き、ゴールの見えない不況という名の道を走りつづけている。

だからこそ、「少しでも子どもの将来を盤石なものに」と考えがちなのだが、将来は突然やってくるのではなく、いまという時間の延長線上に存在するのを忘れてはいけない。

そして、子どもは親の道具でも所有物でもなく、一人の人間であることを常に意識しよう。

「この子のため」という大義名分を隠れ蓑にして、自分の夢をかなえようとしてはいけない。

子育てでもっとも大切なのは、子どもの成長を見守り、その子に合った環境を整えてやることではないだろうか。