「新鮮な毎日」をつくる
ディズニーランドで毎日遊んで楽しく過ごしても、「慣れて」しまったら、それはとたんに色あせたものになる。
しばらくすれば「飽き」がくる。
結婚生活も同じだ。
新婚のときには、世の中で自分ほど幸せ者はいないと思う。
こんなに幸せでいいものだろうか。
どんな格言もウソに思えてくる。
いわく「結婚は人生の墓場」
いわく「結婚とは人間が考えた最悪のシステムだ」
いわく「結婚を夢見る人は、まだ人生の何たるかを知らない」
こんな格言をつくった人はみんな偉人だが、きっと世間には受け入れられない「ひねくれ者」だったにちがいない。
しかし結婚生活に慣れていくにつれ、じわじわと先人たちの格言がリアルなものとして身に迫ってくる。
どんなにすばらしい生活環境も、それが日常となれば、必ずしも「すばらしい生活環境」とは思えなくなる。
もっと理想的な何かがあるように思えてくるのは、誰もが体験的に感じたことがあるのではないか。
私たちは「慣れる」ことによって人生の安定を求めようとするが、同時に「慣れる」ことによって人生の新鮮味を失い、日々の暮らしが色あせて見える。
いまの環境に「あき」てくる。
ここが人生のむずかしいところで、思案のしどころであろう。
新鮮味を探して、それこそ、転職したり、事業を起こしたり、離婚したり、人生のリセットを試みる人もいる。
人生の転機といえば聞こえはいいが、それが「慣れ」や「飽き」から始まったものであれば、その転機のあとに、また「慣れ」や「飽き」がきて、また転機を迎えてと、くりかえし、一生、転機ばかりを迎えることになりはしまいか。
大切なことは、日常に「慣れた」ところで、さて何をしようかという考え方ができるかというところにつきると思う。
趣味の効用というのは、こんなところにもあるのではないだろうか。
日常生活に「慣れ」はしても「飽き」はしない。
おだやかな新鮮味が続いていく。
現状がつまらない、その理由は何か、よく考えてみよう。