趣味探しを趣味にしない
現在、数多く出版されている40代向けの書籍のどれをとっても、仕事に忙しい40代だからこそ、仕事以外に打ち込める趣味を持つようにとすすめている。
それは、視野を広めて発想力を高めるためであり、ストレスを解消してリフレッシュするためであり、また、定年後の生活を楽しいものにするためである。
だから、自分が楽しめる趣味のひとつふたつを見つけるべきである。
しかし、趣味を豊かにしたほうがいいとはわかっていても、いったい何をすればいいのかわからない人、若いときには夢中になれるものがあったのに、仕事漬けの生活を送っている間に、そんなものはなくなってしまったという人も多いのではないだろうか。
そのうえ、ストレス解消になるといって週末に蕎麦打ちをしていた同僚が、いつの間にか腕をあげ、いまでは友人を自宅に招いて打ちたての蕎麦をふるまうまでになったという話や、メタボ対策にとジョギングを始めた部長が、いつの間にか地域主催のマラソン大会に出場してよい成績を残すようになり、今度はホノルルマラソンに出場しようと意気込んでいるのを見開きするにつけ、「自分も何か趣味を持たないと。やりたいことを見つけないと!」とあせりを覚えるようになっていく。
また、デバートなどで休憩所の椅子に所在なさそうに座っていたり、図書館で熱心に本を読むわけでもなく新聞や雑誌をただパラパラとめくっている高齢者の姿を見かけるにつけ、「いまのままでは、自分もあのように退職後の生活を送るようになるのではないか?」と不安になってしまう。
しかし、このようなあせりや不安にかきたてられて趣味探しに走るのは本末転倒である。
面白そうなものにとりあえず首をつっこんでみるが、少しゃっても面白みが感られない、ちっとも上達しないと見切りをつけ、次を探す。
その結果は、あれもこれもと手を出しただけで、いつまでたってもこれといったものには巡り合えない。
こうなると、さらにあせりや不安が募ってくる。
これでは、40代の貴重な時間を無汰にしているだけだろう。
以上のような顛末(てんまつ)になるのは、人に自慢できるほどの成果を出さないと趣味として恥ずかしいなどと考えているからではないだろうか。
「立派なご趣味ですね」「すごいなぁ~」と言われたいと心のどこかで思っているのではないだろうか。
しかし、他人に評価されなければ意味がないという考えは、仕事における価値観である。
趣味に関しては、同じような考えは捨てるべきだ。
まず、何のために、仕事以外の世界を持つのかをよく考えてほしい。
趣味とは、自分が面白いと思えることで、他人がどう思おうと関係ない。
また、その道で成果や技術を高めようと考える必要もない。
子どもが無心に遊んでいるとき、自分の好きなものに没頭しているとき、ただそれが面白いからやっているだけで、母親や先生に「うまくできたね」「えらいね」と言ってもらいたくてやっているのではない。
もちろん、あせりや不安があるはずもない。
趣味も同じだ。
他人からくだらないと思われようと、自分が面白いと思うことを自分のペースでやればいいのだ。
成果や技術は後からついてくるかもしれない。
もし現在、趣味としてこれといったものが思いつかない人も、何か面白いことはないかなと、好奇心のアンテナを張るだけでいい。
趣味を探せというのは、アンテナを張れということだ。
それだけで気持ちも脳も活性化され、楽しい毎日が送れるようになるはずだ。