聞こえはいいが、誰にも文句の言いようのない正論や正当をふりかざす人がいる。
数人が集まって、「お店に行って、店員が間違えておつりを多くもらったらどうする?」と話している。
多くの人が、「黙って逃げる」「すぐに気がついたら言うけど、後で気がついたら、そのままにする」「感じのよい店員なら、本当のことを言う」などと言っている。
そこに、その種の人がいると、断固として、「どんなことがあろうと、返さなければならない」と主張する。
それだけならまだしも、不道徳的な同僚に説教することもある。
数人が集まって、いやな人の悪口を言っている。
こんな目に合わされた、こんなことを言っていたという噂話で盛り上がっている。
そこにその種の人がやってくると、「人の悪口を言うのは、人間として最低だ!」ということになる。
すべてこの調子。
「人と人は助け合わなければならず、エゴイズムに駆られてはいけない」
「国際平和のために、豊かな人は貧しい人を助けなければならない」
「戦争をする場べきではない。日本人全員が世界の戦争をやめさせるために、声を上げるべきだ」
「社会に生きているからには、支え合う必要がある。そのためには、お互いに責任がある。ボランティアをして、助け合わなければならない」
と言い続ける。
この種の人が最も嫌うのは、不正を働く政治家だ。
この種の人はしばしば政治的発言をするが、ほとんどの場合、庶民のことを考えず、私腹を肥やし、自分の地位にしがみつく政治家や役人への非難だ。
そして、不正を働いた人に対しては、「そんなことをするなんて、信じられない」「そんな人は、人間として許されない」と断罪する。
もちろん、この種の人の言うことはどれも正しい。
反論しようとすると、全人類を敵に回すことになりかねない。
だから、誰も反論はしない。
が、心の中でかなり強い抵抗を感じている。
この種の人は、自分が清廉潔白だと信じているのだ。自分だけは、どんなことがあっても犯
「罪を起こすはずがない、自分だけはしっかりと菩良な市民として生きていくと信じているのだ。
それだけならまだしも、そうであることを周囲の人に強制し、周囲の人が弱さを見せることを許さない。
もちろん、このような態度は必要だ。
このような人がいるからこそ、 日本社会は健全な社会として機能している。
もし、日本人の大半が、清廉潔白な心を失って、欲望に負け、誘惑に負け、不正を許していたら、それこそ日本は堕落した国になってしまうだろう。
このような人々がいるからこそ、そうならずにすんでいる。
しかし、その種の人は、あまりに人間を知らないのだ。
人間は弱さをもっている。
欲望に負けてしまう。
もちろん、負けるべきではないが、負けてしまう人が多い。
それを知っていてこそ、人間を理解できる。
それを知っていてこそ、そのような欲望に負けない制度を考えようとする。
人間の弱さを知り、悪い心も知り、自分の中に誘惑に負ける気持ちがあることを認め、その上で清廉潔白であってこそ、知的な生き方だ。
それを知らなければ、愚かとしか言いようがない。
ところで、その種の人が、もし本当にボランティア活動をし、支え合う社会をつくるために地道な努力をしているとすれば、それはそれで尊敬に値するだろう。
だが、それをしないで、ただ口先で奇麗事を言っている人が多い。
だが、それでは、人に説教する資格はない。
何もしていないのなら、ほかの人と何ら変わりはないのだ。
自分で何もしていないのに、それを説教しているのだとすると、正論をふりかざしているだけ、ほかの人よりも始末に負えない。
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正当正論な意見を言う人に対しての対策
その種の人は自信をもっている。だから、下手に挑発するとますます「自分だけは、そんなことはしない」と意固地になって主張し続けるだろう。
したがって、挑発するべきではない。
むしろ、その清廉潔白な性格を十分に利用することを考えるほうがよい。
面倒だけど大事な仕事をその人に任せるわけだ。
そうすれば、その人はいやと言わずに、しっかりと実行するだろう。
そして、もしそれを不愉快に思いはじめたら、奇麗事を言わなくなるだろう。
あなたが正当正論な意見を言う人であれば自覚するためのポイント
まず自分も周囲と同じような、平凡な、誘惑に負けやすい人間だということを自覚するベきだ。
いま、そういう境遇にいないのは、たまたま運が良かったに過ぎない。
もっと恵まれていなかったら、きっともっと不健全な生活をしているに違いないのだ。
そして、そうなっていれば、誘惑に負けているだろう。
人は状況次第で悪をなしてしまうことを知るためには、とにかく小説を読んでみるのがお勧めだ。
世界的名作から推理小説などを読んでみれば、人間がいかに弱く、悪をなしてしまうかがわかるだろう。
そのことをしっかりと認識していれば、うすっぺらな奇麗事は言えなくなる。
それを踏まえたうえで、現実を見つめてこそ、愚かと思われなくなる。