実は人間は人と会ったの数の分ほど賢くなっていくのです。
若いうちはもちろんのこと、定年年齢になるまでは、会える人にはできるだけ会って、話を聞かせてもらったほうがいい。
なかには迷惑な人や二度と会いたくないと思う人もいるだろうが、自分のほうから「こういう人間とは絶対つきあわない」などといったポリシーはなるべくもたないほうが賢明だ。
なぜなら人間関係くらい予想外の展開をもたらすものはないからである。
人間は年を重ねるごとに、少しずつわがままになってくる。
また、年齢ゆえに、あるいは地位や立場、実績ゆえに許されるわがままというのもある。
それを意識してか「私はもう六十の声を聞きましたからね。これからは嫌いな人とはなるべくつきあわないようにしようと」といったことをいう人がいる。
第二の人生に入ったらそれもよいと思うが、第一の人生を続行中だったら、いくつになろうと、できるだけ多くの人に会うべきだ。
たとえば東京都知事が「嫌いな人間とは会わないよ」などといい出したら、都知事を辞めてもらわなければならなくなるだろう。
それでは知事という要職は務まらないからだ。
実際に人とのつきあいは、どこでどういうことになるか予測がつかないものである。
道端でハンカチを拾ってあげた女性と結婚することになるかも知れず、初対面で大喧嘩をした男が生涯の友になったりもする。
イヤな人間との出会いだって、こちら次第で何事か得るものはある。
自然の流れで会う機会が生まれたなら、人とはできるだけつきあう姿勢が大切だと思う。
どんな人間に会っても、それが無駄になることはないのだ。
最近は生身の人間との接触が希薄になってきている。
いうまでもなく、携帯電話とインターネットの普及がその原因である。
単にコミュニケーションということなら、人は以前にもまして人と交流しているが、心の通いあうつきあいができているかというと、これはどうも怪しい。
むしろ人を見る目がなくなっているような気がする。
そうでなければ、うら若い女性が出会い系サイトなんかで、見知らぬ男とデートをするようなムチャをできるはずがない。
声だけ、文字だけのコミュニケーションは、必要最小限にとどめておくベきだ。
実際に人に会ってみれば、顔つきや服装、態度、物腰から、言葉以外のさまざまな情報を読み取ることができる。
口でいっていることが本心でないことなどは、会っていればすぐにわかる。
だが、そういうことがわかるためには、生身の人間と接触する機会をたくさんもって修錬を積まなければならない。
いまはその機会が少なすぎるのだ。
仕事にも同じような傾向が現れている。
雑誌の原稿依頼をファックス、メールで受けて、書いた原稿をファックスかメールで流し、稿料は銀行振込となると、担当者と一度も面談する機会がなくとも仕事は進行する。
以前の出版界では打ち合わせと称して、喫茶店で関係者が落ちあい、打ち合わせ後は一杯というのが普通だったが、いまはそういうことがほとんどなくなった。
出版界に限らず、どこの業界でも似たようなことになっているはずだ。
だからこそ、人と直接つきあう機会があったら、できるだけつきあって生身の相手を知り、自分のことも知ってもらうことが大切だと思うのだ。
IT時代だか何だか知らないが、この調子でいくと、人と直接会う機会はますます減っていくだろう。
その結果、人々はますます「人間音痴」になっていくのではないか。
これはかなり恐ろしいことでもある。
ただ、コロナの関係で人との接触は難しい世の中になっているが、いつか落ち着いた日が来たときは、ぜひ実践してほしいものである